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千葉大学学術成果リポジトリ
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702
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(
2025-06-12
19:39 集計
)
閲覧可能ファイル
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説明
S09138137-7-P039
pdf
1.25 MB
1,253
基本情報
データ種別:学術成果リポジトリ
タイトル
中世武士の遊びに関する研究 : 遊芸を中心として
作成者
西村, 秀樹
作成者の別表記
NISHIMURA, Hideki
内容
[序] 中世武士の遊びとしては、いわゆる遊芸があげられる。東山文化の時代 (将軍足利義教の独裁政治が崩壊した嘉吉の乱後の、義政を載く幕府体制下の50年ほどの時期、1441~1491頃)には、将軍御所は武家文化のサロン的性格をもつに至り、同朋衆と呼ばれろ遁世人たらが、絵画、巡歌、立花、香合、茶湯などを展開させていた。彼らは、戦闘のないときには、武士に対して、それらの遊び文化の相手をつとめ、心をなごませていた。中世の末朗、戦国時代になると、武士間の対立抗争が激化していったが、上層武士のほとんどは、古典文化の吸収に情熱を燃やした。そのうち、遊び文化も例外ではなかった。江戸城を築いた太田道灌は漢詩にすぐれていたし、応仁の乱の西軍の主力となって活躍した大内政弘は「源氏物語」、「伊勢物語」などの王朝古典文化の吸収に非常な熱意を示すとともに、みづから和歌をも詠み、その歌集「拾塵和歌集」の三条公敦の奥書によると、彼には二万余首の詠草があって、これはそのなかから厳選したものなのであった。同じく応仁の乱の東軍の主将細川勝元を援助した勇将として知られた阿波の大名細川成之は、五山禅僧たちとの交わりが深く、和歌・連歌を好み、大内政弘とともに「新撲菟玖波集」編集にあたっての有力な後援者なのであった。越前の朝倉家は歴代通じて、公家や連歌師を迎え続けている。また、能楽も武士のあいだで愛好されている。能楽は、観世世阿弥がその庇護者を三代将軍義横として完成させたものである。賎民の芸能としてさげすまれていた猿楽の能は、彼らによって武家の式楽にまで昇華されたのである。このような武士が戦乱の最中においてさえおこなった遊芸を中心とした遊び文化は、武士にとってどのような社会的意味をもつものであったのだろうか。以下では、これらの武士の遊び文化の社会的意味を、武士道イデオロギーとの関連において明らかにしていくことにする。
ハンドルURL
https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/107048/
フルテキストへのリンク
https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/107048/S09138137-7-P039.pdf
公開者
千葉県体育学会
公開者の別表記
Chiba Society of Physical Education
NII資源タイプ
学術雑誌論文
ISSN
09138137
NCID
AN00241194
掲載誌名
千葉体育学研究 = Chiba Journal of Physical Education
巻
7
開始ページ
39
終了ページ
48
刊行年月
1984-11-30
著者版フラグ
publisher
カテゴリ
千葉体育学研究
その他の情報を表示
DCMI資源タイプ
text
ファイル形式 [IMT]
application/pdf
言語 [ISO639-2]
jpn
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