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千葉大学学術成果リポジトリ
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このアイテムのアクセス数:
133
件
(
2024-11-19
03:16 集計
)
閲覧可能ファイル
ファイル
フォーマット
サイズ
ダウンロード回数
説明
03_IKEDATateo
pdf
1.4 MB
551
基本情報
データ種別:学術成果リポジトリ
タイトル
ある医師の中国と日本(近田医師の戦中、戦後の軌跡)
タイトルの別表記
A doctor in China and Japan: Dr. Chikada’s trajectory during and after the war
作成者
池田, 健雄
作成者の別表記
IKEDA, Tateo
内容
[要旨]1938 年 5 月に近田良造(ちかだりょうぞう)医師は東京に生まれ、医学専門学校卒業後、市内の医院に内科医として勤務中に、善隣協会の「対蒙古民族のへ医療に貢献」に賛同、転職した。翌月、善隣協会本部から中国内蒙古・包頭(ほうとう)市勤務を命じられ、善隣協会包頭診療所に単身赴任する。彼は外来以外にも回民、蒙古族の居留地に出かけ、内科以外の眼科、性病科等の治療を行う。彼は日本人学校の校医・保護者会長など歴任し 1945 年 9 月まで包頭で過ごす。1945 年 10 月、医師一家は北京経由で帰国できず、山西省太原(さんせいしょうたいげん)に到着した。閻錫山(えんしゃくざん)が日本軍・住民を引入れ「山西王国」を建設中であった。近田医師は現地の太原共済医院副院長の職を得た。知識人として「山西王国」の要職に就いた為、1949 年、閻錫山軍の敗戦により、山西残留の幹部として逮捕される。1956 年、彼は 70 歳で日本に帰国したが、再び「医師免許」取得に挑戦し、72 歳で合格した。その後、彼は埼玉県で近田医院を開業し、84 歳まで一医師として生涯現役を全うした。
ハンドルURL
https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/107960/
フルテキストへのリンク
https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/107960/03_IKEDATateo.pdf
公開者
千葉大学大学院人文公共学府
公開者の別表記
Chiba University. Graduate School of Humanities and Studies on Public Affairs
NII資源タイプ
紀要論文
ISSN
2433-2291
掲載誌名
千葉大学人文公共学研究論集 = Journal of Studies on Humanities and Public Affairs of Chiba University
巻
40
開始ページ
22
終了ページ
41
刊行年月
2020-03-27
著者版フラグ
publisher
カテゴリ
千葉大学人文公共学研究論集 (ONLINE ISSN 2436-4231)
その他の情報を表示
DCMI資源タイプ
text
ファイル形式 [IMT]
application/pdf
言語 [ISO639-2]
jpn
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