大学図書館の将来 土屋俊 (千葉大学) 1. 「大学図書館不要論」 21世紀は電子化の時代である。したがって、大学も全体として「電子化」されることになるであ ろう。たとえば、学生に対して掲示によって行なっている通知(たとえば、個人に対する呼び出 し、あるいは一部の複数学生を目標とする教室変更通知など)は、その個人あてのメールあるい は掲示板ウェブに設けられた個人スペースなどによって行なわれることになる。あるいは、教員 が構成する委員会の開催通知の同様にメールあるいは掲示板ウェブに設けられた個人スペースな どによることなるに違いない。もちろん、教員からの成績の報告も、おそらく公開鍵方式による 暗号メールなどを利用することになるであろうし、教授会がもし存続するとしたら、その議論の 本体は一同会することによって行なうのではなく、メーリングリスト上で展開することになるか もしれない。連絡、通知、報告など、キャンパスの運営上必要な情報はすべてネットワーク経由 で電子的媒体を介して流通することになる。 さらに大学教員は、通常、学術研究にも従事するので、研究上の連絡、研究資金の申請、物品 (図書)購入、研究グループへの指示、学術的な意見交換などをネットワーク上で電子媒体を介し て行なうことになるであろう。その結果、キャンパス内の情報基盤・ネットワーク基盤は、およ そキャンパスライフのあらゆる側面において不可欠の存在となり、したがって、その整備運用こ そがまず大学における政策展開の基礎として重要視されることなることは確実である。 くわえて、現在まで大学の研究者は、学術情報を入手するにあたって、図書や雑誌を利用してい たために、図書館に頼って図書を購入し、雑誌を契約していた。しかし、非常の多くの情報がワー ルド・ワイド・ウェブ(WWW)の各種ページから入手できるようになっており、この状況は、さら に推進されるであろう。研究そのものは、なんらかの資金によって支えられており、その研究の 成果あるいは中間的産物は、とくに努力も費用も費すことなくウェブのベージに掲載可能であり、 そのような成果物を公開することは、資金提供者の意向はともかくとして、学術研究の公共性と いう観点からは推奨されるべきことである。したがって、理想的には、そのような研究的情報は いわば無償で入手可能となる部分が増えると考えられる。 流通や品質保証のためのコストゆえに有償提供が当然であるような種類の情報、すなわち、現在、 専門学術雑誌や論文集という形で提供されている種類の情報は、ネットワークを利用して流通に かかわるコストを軽減できたとしても、品質管理のためのシステムそのものはそれほどに低簾化 できないことであろうから、それを無償にすることは到底不可能であろう。したがって、その種 類の情報が商業的に流通するという状態に変化はないであろう。しかし、そのことは、現在まで の図書館の大学における役割を変更させないという保証はない。たとえば、電子マネーや電子決 済の普及によって、論文のダウンロードごとに課金するという制度が現在とは異なって合理的な ものとなったならば、研究者は直接に情報を求めて、費用を払ってでも必要な資料をダウンロー ドするに違いない。もちろん、経済的に見合わないようなダウンロードはなくなり、学術研究は、 コスト・センシティブな営為となることであろう。しかし、そのようになることが、学術研究を 堕落させたり、退化させたりすることになるとは断言できない。 このようにして、自ら研究しようとする研究者は自ら資料を入手するのが当たり前のこととなり、 図書館の助けはもはや不要となるであろう。もちろん、自分に必要な資料がどこにあるのかにつ いて、図書館のレファレンス機能を活用しようとする研究者も残るかもしれない。しかし、その ような情報は、それぞれの研究についてひとつあればよい種類のものである。したがって、WWW 上のどこかに、ちゃんとしたいわゆる「サブジェクト・ポータル」がメインテナンスされ、それ がウェブ上の電子的資料であれ、在来の印刷媒体資料であれ、その所在を知らせてくれるならば、 いちいち自分の図書館の尋ねることもなく容易に資料の在処を知ることができるであろう。した がって、図書館も図書館員も不要であることになる。 しかし、本は置いておかなければならない。印刷媒体の書籍が消えることはないに違いない。し たがって、本の置き場としての図書館の位置付けは、大学のなかで変わることがないはずである と考えられるかもしれない。しかし、印刷媒体の本が大学キャンパスの中で位置を占めつづける ということと、大学図書館が存続するということは同義ではない。実際、近年の自動書架技術の 発展はすばらしいものであり、たとえば、教員あるいは教員からなる選書組織が決定、発注した 書籍を納品する書店は、会計窓口で手続きをとるとともに、おそらくサイズ別に指定された場所 に置きつつ適当な登録を行なえば、自動的に書誌と所在が記録されることになる。本は、自動書 架につめられることになるが、そこでは当然分類別配架などということはない。利用者は、オン ラインカタログで本を探すが、多くの場合、カタログを検索して目的の資料をヒットすると、そ の目次や概要などが表示されるくらいに出版社側のデータベースは充実していることであろう。 これぞと思う本がみつかったら、適当なボタンをクリックして、数分後には手許にその本が配送 されてくることになる。この過程で図書館員のような人間が介在する必要はなく、しかし、現在 と同様の便宜を提供することができるようになる。 これだけはなく、さまざまな機能は、電子的に展開可能となり、それによって、もはや大学図書 館がいままだキャンパス内ではたしていた機能が代替され、その結果、「図書館などはもういらな い」という議論が当然のように出てくることであろう。われわれは、このことにどのように応え ることができるであろうか。 2. 大学改革と情報化 情報化は、上述のような「大学図書館不要論」をもたらすが、現在の日本の大学は、さらに、一 方では高等教育と先端科学技術研究開発というその本来の社会的役割の履行を強くせまる社会か らの要請に応えると同時に、他方ではデジタルネットワークの社会インフラ化によって加速され る社会の情報化、つまりいわゆる「IT革命」あるいは「ICT革命」という動向にも対応すること を迫られている。前者の課題は、ある意味では日本に特有の事情、すなわち第二次大戦後の日本 における高等教育と学術研究に関する意識と政策が、その量的な拡大と外部環境の変化に即応し た質的変革を遂げられなかったという事情にすぎないが、後者の課題は、(もちろん、当面は先 進諸国に限定されるはするものの) 全世界的にあらゆる個人、あらゆる組織が対応しなければな らないという意味で人類的規模という性格を持つ。したがって、大学における教育と研究にとっ て不可欠の意味を持つ大学図書館は、この大学改革と社会インフラの情報化というふたつの圧力 によって示される方向性を自覚して、その展開を図らなければならない。これが、今われわれが 置かれた状況であるように思われる。 しかしそもそも、図書館の仕事は、情報を扱うことであるから、情報化には当然対応しないけれ ばならないという議論は不十分である。図書館の情報化は、その自動化として長い歴史を持つも のであるが、それは学術情報流通の本質的変貌に先立って、従来の図書館の業務を効率化すると いう観点から展開していたものである。情報の媒体が紙を中心とするということはむしろ暗黙の 前提だったのであり、カタログの電子ファイル化が先行したことはその象徴である。現在の本質 的変貌とは、情報流通の媒体そのものが変貌していることを意味しており、媒体の変化なしに管 理方法を変化させるということとは異なるからである。管理方法の自動化、情報化、電子化とい うことであれば、進歩と前進しか考えられないと思われるが、媒体の本質的変貌についてはそれ ほど話は簡単でない。管理の対象の種類そのものが大きく変化あるいは拡大しつつあるというこ とであるので、より根本的な対応が迫られるということになる。たとえば物流の場面であれば、 流通する事物そのものに変化はなく管理方法のみが変化すると考えられるが、そのような理解は 図書館にはあてはまらないということになってるのである。さらに、現在展開している情報化は、 あえて陳腐な表現を使えば「グーテンベルク以来の未曾有の出来事」であり、その方向次第では、 図書館という概念、存在そのものを否定する可能性があるものであることを忘れてはいけない。 さてここまでは当たり前の話である。しかし、この二つの方向性の間には、「ちょっと厄 介な」関係があり、それゆえに、大学における大学図書館の役割が注目されることになる。 すなわち、これからの高等教育と先端科学技術の研究開発という大学の役割をよりよく果 たすためには、高等教育機関における情報基盤の確立が必要になるという点である。一般 に情報基盤という範疇の体制について、大学においては1990年代に、ハード面(計算機お よびネットワーク)の整備が進んでいる(もっぱら国の補正予算によるものであり、したがっ て、国立大学が先行して、私立大学、公立大学が追従したという経緯になるであろう)が、 いわゆるコンテンツ面、すなわち利用され生産される資料の質的、量的拡充とその運営・ 運用の体制という側面の整備はまだまだである。となると、これから問題になる情報イン フラとは、まさに資料の整備を通じて教育と研究を支援するという大学図書館の仕事その ものになる。したがって、大学図書館としては、たんに大学における教育と研究の改革と いう課題を考慮するだけでなく、そのような改革を可能にする体制構築にも関与しなけれ ばならなくなるということゆえに、「ちょっと厄介な」関係であるということになる。 現代日本における大学改革という時代の波を前提として大学図書館の将来について考えるときに、 われわれが配慮しなければいけない問題点、そして、実際それらをめぐって現在さまざまな検討 がなされている事項をまず列挙しておく。 1. 教育のための図書館という概念の資料面における実現 2. 学生が集う図書館というイメージ 3. コンピュータリテラシー教育から情報リテラシー教育への移行のなかでの図書館の役割 4. 大学の生涯学習支援機能および地域連携と大学図書館 5. 学術的コミュニケーションの電子化による変容 6. 知的財産管理の主体としての大学図書館 7. 電子図書館の時代におけるレファレンスの役割 8. 大学の情報基盤構築と図書館 このうち、1から4は、現在の高等教育がまさに人材養成を主たる目的とする教育機関としての社 会的責任をはたすために考えなければならない観点であり、5と6は先端的研究機関としての大学 が、情報化のなかで置かれた立場ゆえの検討課題である。これらの諸点についての考察は、おの ずから、1990 年代前半以来語られていた「電子図書館」という概念に実質を与えるものである と同時に、当時の妄想を匡すものでもある。これが、7のテーマである。しかし、そのような観 点から大学改革という課題に応えようとするとき、現在当然とされている教育・研究支援体制、 事務組織体制がはたして適切なものであるかという疑問が生じてくる。たとえば、大学図書館は 平成11年までの文部省の組織体制においては学術国際局が所掌するものであるが、大学そのもの は高等教育局によってつかさどられている。平成13年からは、この分担はさらに複雑になり、情 報ネットワーク基盤と所掌する文部科学省の情報課と大学図書館を所掌する大学図書館係が属す る学術機関課は別の課であることになってしまっている。もはや縦割り行政という陳腐な批判を 繰り返す段階ではなく、大学は、学内のあらゆる力を結集して、それぞれの大学が主体的に21世 紀の大学の前提条件である情報基盤の構築に取り組まなればならなくなっていると言わざるを得 ない。この事態に対して、図書館の側からはどのように見て、働きかけるべきであろうか。これ が8のテーマである。