魯文の艶本

高 木  元 


要 旨 仮名垣魯文に関する研究は『安愚楽鍋』や『西洋道中膝栗毛』など著名なテキストを除いて著しく遅れていた。この数年間、国文研で組織された魯文研究会に参加した方々の努力に拠って、魯文の文筆活動の全貌が明らかにされつつある。ところが、習作期に多作していた艶本については、その所在情報の入手が困難であったこともあり、その全体像は必ずしも見えていない。本稿では管見に入った艶本資料に拠り、作家としての出発をした鈍亭時代の魯文の文筆活動の一端を明らかにしてみたい。



  一 緒言

魯文が若い時分から山東京伝や曲亭馬琴など戯作者に憧憬していたことは知られている。嘉永二年(一八四九)春に出した戯号「和堂珎海 改め 英魯文」披露のための所謂「名弘め配り本」である『名聞面赤本(なをきけばかほもあかほん)▼1』に「魯文幼(をさ)なかりし時、艸双紙(さうし)の終の圖の、机に掛(かゝ)りし作者の真似(まね)して遊びたりしに、今また作者たらん事をのぞむ▼2」との記述が見られ、この逸話もそれなりに実情を示唆したものとの想像に難くない。同書の末尾には、自ら卑下して「僕が継(つ)ぎ接(は)ぎする狂文の、鋏(はさみ)仕事に古(ふる)着の趣向を洗(あら)ひ張して、戯作者の手前符牒をつけんとて\英魯文\赤本の桃ならなくに我は又洗濯(せんたく)ものゝ名や流すらん」と記しているが、この言説に見られる「継ぎ接ぎ」「鋏仕事」「古着の洗い張り」「洗濯もの」などという表現は、既に評判になっていた作品に基づいて書く、創意工夫のない安直な抄出縮約(ダイジエスト)を意味している。

これらの表現は、後の切附本の序文に頻出する「糟粕(かす)」と同義で、例えば、嘉永七年の切附本『〈八百屋於七 小姓吉三〉當世娘評判記』に「事物糟粕\赤本の桃ならなくにわれはまた洗澤ものゝ名や流すらん\鈍亭」とある▼3。安政二年『雙孝美談曽我物語』には「古人(こじん)の糟粕(かす)をねぶりて、以(もつ)て一口(いつこう)をぬらす而巳(のみ)」、さらに安政三年『英名八犬士』第八輯結局には「稿(かう)成名を賣(うる)(ゑせ)作者。古人の糟粕(かす)を〓〓(まるのみ)に口を粘(のり)する門辺の痩犬(やせいぬ)」、安政四年『釋迦御一代記』初編には「他(た)の見識(けんしき)ある著述家(さくしや)なりせば。糟粕(さうはく)の譏(そし)りを愧(はぢ)て。屡(しば/\)(これ)を推辞(いなむ)べきに。余(よ)は元来(もとより)蛇足(じやそく)に臆(おく)せぬ。文盲(もんもう)不学(ふがく)の白癡(しれもの)なれば。世(よ)の胡慮(ものわらひ)となるを思はず。速(すみやか)に毫(ふで)をとつて」と開き直り、万延元年の『抜翠三國誌』第六輯に至っては、序末の戯名を「糟粕外史」などと署名している。

つまり、魯文は文壇デビュー当初から習作期を通じて〈嘗ての著名な戯作者の糟粕を嘗めるに過ぎない戯作者の端くれ〉という極端に自己卑下した立場を標榜し続けていたのである。しかし、安政二年『蝦夷錦源氏直垂』前編には「近頃(ちかころ)(もの)の本(ほん)とし言(いへ)ば。古人(こしん)の糟粕(そうはく)ならざるはなし。こゝもまた時運(じうん)に依(よ)るところ。拙(つたなし)とのみ言(いふ)べからず。况(まい)て兒戲(じげ)の策子(さうし)をや。吾(われ)(また)ふかく懸念(けねん)せず。」とあり、伝統的な戯作者の口吻である「口に糊するためにする著述で所詮婦女子の慰みものだ」と謂いつつも、同時に「時運」に拠るところであるとの認識を示している。

天保の改革以降、化政期に活躍した戯作者が次々に物故してしまい「戯作者の種切れ」であるとの状況認識に就いて、例えば『〈才子必讀〉弘化奇話』初編巻之下(弘化期、何毛呉餡内)所収「地獄之奇談▼4」では、弘化二年に亡くなった栄久(書肆栄久堂山本平吉)が地獄で京伝種彦一九春水三馬などに逢い「この節(せつ)は娑婆(しやば)も誠(まこと)に戯作者の切(ぎ)れにて、先生方御引取(と)りの後は何(なに)ひとつ本らしき物(もの)は出来申さず、偶々(たま/\)出来れば熱病人の譫言(うはこと)を言(い)ふ様(やう)な前後乱脈の分(わか)らぬ事(こと)ばかり綴(つゞ)くり、その上(うへ)作料ばかり欲(ほし)がり候故(ゆゑ)、書肆も一統困(こま)り切(きつ)て……」というと、「我々(われ/\)の作を洗濯(せんたく)して自分共(ども)が新(あたら)しく仕立し様(やう)に誇(ほこ)る族もあれば……」と応じている。弘化期には未だ馬琴や京山が存命中で、魯文が文壇にデビューする少し前のことではあるが、天保改革後の斯様な状況認識は魯文も「時運」として共有していたものと思われる。

そもそも切附本というジャンル自体が、「讐討類、物語類、一代記物\此書は五十枚一冊読切物品々明細早分り物」(槐亭賀全『松井多見次郎報讐記』の巻末広告、吉田屋文三郎板)とあるように、弘化期以降とりわけ嘉永安政期を中心に粗製濫造された廉価な小冊子で、実録や浄瑠璃、読本や合巻などの抄出縮約を目的としたものである▼5。さらに、〈糟粕〉と〈抄出〉という方法こそが不可欠な切附本というジャンルを主導したのが魯文であってみれば、その序文などで繰り返される自虐的に卑下した口吻を文字通り受け取るわけにはいかない。

ところで、習作期の魯文が生活と売名とのために、様々なジャンルに何でも書いていたことが次第に明らかになってきているが▼6、見逃すことの出来ない一ジャンルに艶本(えほん)がある。艶本は普遍的な需要が存しているにも拘わらず、何時の時代にあっても、風紀上の理由から表向きには非合法化される特殊な商品ではあった。しかし、その故に、多少のリスクは背負うものの、板元にとっても執筆者や画工にとっても、実際のところ実入りの良い仕事であった筈である。

艶本に就いては、早くから林美一氏の先駆的な研究が備わっており▼7、それなりの蓄積はあるのだが、隠微な古書資料であり続けたことから、近年に至るまで公的機関の蒐集は多くなく、結果的に所在の知れている本は少ない▼8。このような事情から、魯文の艶本に関しても全貌は未確認ではあるが、本稿では管見に入った資料の報告を通じて習作期の活動の一端を明らかにしたいと思う。

魯文が手を染めたと思しき艶本に用いている戯号は「慕々山人」が多く、その他「妻恋隱士」「當書山人」「當垣慕文」などがあるが、「恋岱」を冠していることから湯島妻恋坂に住んで「鈍亭」と号していた習作期、つまり嘉永末年(安政元年)から安政末年に、切附本の板元として馴染みの深い品川屋などから、この種の非合法出板物を多く出して原稿料を稼いでいたものと思われる。

その特徴は、絵を見ることに中心のある草双紙を摸した春画本ではなく、所謂「読和(よみわ)」と呼ばれる読本風の「読むこと」に主体のある絵入本を書いていることである。また、魯文の艶本は『三国志』や『偐紫田舎源氏』など、何等かの先行する著名な作品を典拠として改作したものが多い。この特色は「抄録家」としての魯文の面目躍如であった。

魯文が「糟粕」を標榜していた習作期に艶本に手を染めたのも、方法的には切附本など大きな相違はなかったからであろう。ただ、単なる抄出ではなく艶本として改作するには、求められる性的雰囲気を醸し出すための語彙を宛字に拠って創出したり、典拠を逐語的なパロディにしたりするという戯作的なセンスをも要求されたものと思われる。この点を魯文の他作者に対する優位性として積極的に評価することも可能であると思われる。

▼1 国文学研究資料館所蔵本(ナ4-711)に拠る。「星窓梶葉\砂文字や野良をつくしの筆はじめ」の詞書。なお、本書に就いては『〈近世〉列傳躰小説史』下巻(春陽堂、一八九七年)所収の野崎左文「假名垣魯文」と、林美一『江戸広告文学』坤(未刊江戸文学刊行会、一九五七年)に解題と翻刻とが備わる。

▼2 以下、本稿に於ける板本の翻字に際しては、私意に拠り適宜漢字を宛て原文を振仮名として残した上で、読点や濁点を補った。

▼3 『名聞面赤本』所収の狂歌に同じ。34ウ35オに「談笑(だんせう)諷諫(ふうかん)\滑稽(こつけい)道場(どうじやう)\御誂案文著作所(おんあつらへあんもんちよさくどころ)\妻戀坂中程 鈍亭[ろぶん]」の看板と共に描かれている。以下の切附本に関する記述については拙稿「鈍亭時代の魯文−切附本をめぐって−」(「社会文化科学研究」第十一号、千葉大学大学院社会文化科学研究科、二〇〇五年九月)参照。

▼4 初編中本二冊、外題は『〈才子必讀〉當世妙々竒談』、底本は架蔵本に拠る。拙稿「感和亭鬼武著編述書目年表稿」 (『江戸読本の研究』第四章第五節、一九九五年、ぺりかん社)で全文を紹介している。また、山本和明「『当世妙々奇談』−翻刻と書誌」(「相愛女子短期大学研究論集」第四十七号、二〇〇〇年)に全冊の翻刻と、同氏に拠る「叱られし人々−『当世妙々奇談』私想」(「相愛国文」第十三号、二〇〇〇年)という考証が備わる。

▼5 拙稿「末期の中本型読本 −いわゆる〈切附本〉について−」(『江戸読本の研究』第二章第五節、一九九五年、ぺりかん社)参照。

▼6 平成16〜19年度科学研究費補助金(基盤研究B)研究成果報告書「原典資料の調査を基礎とした仮名垣魯文の著述活動に関する総合的研究」(研究代表者 谷川恵一、二〇〇八年三月)、拙稿「魯文の売文業」(「国文学研究資料館紀要」三十四号、国文学研究資料館、二〇〇八年)など参照。

▼7 林美一『艶本江戸文学史』(河出書房、一九九一年、初出は一九六四年)、同氏『艶本江戸文学史』(河出書房、一九九一年、初出は一九六四年)など参照。

▼8 『国書総目録』には「日本艶本目録(未定稿)による」として、所蔵の記されていない艶本の書名が頻出する。近年、白倉敬彦氏の労作である『絵入春画艶本目録』(平凡社、二〇〇七年)が出た。図版を豊富に掲載した貴重な資料ではあるが、「春画艶本目録」の完成を目指して公開をしたと序文にあるにも拘わらず、実際の書目に所蔵が記されていないので、例えば改題本を調査しようとしても追認確認する方法がない。春画や艶本は個人蔵に帰したものが多く、個人的な名前を公表したくないという事情が在することも想像に難くないが、立命館大学アートリサーチセンターに所蔵された故林美一氏のコレクションや、国際日本文化研究センター蔵の艶本資料などは既にインターネット上に画像データが公開されており、やはり学問の進捗のためには可能な限り所蔵を記すべきだと愚考し、本稿では知り得た全ての所蔵機関(者)名を明記した。



  二 魯文艶本書目(稿)

○〈横櫛音海(よこぐしのおとみ)向疵與謝(むかふきずのよさ)〉假枕浮名仇波(かりまくらうきなのあだなみ)   半三冊 慕々山人  嘉永七年刊カ(国文研〈ナ4-755〉・日文研▼9〈KC-172-Bo〉)

○風俗讃極志(ふうぞくさんごくし)初〜三編  中三冊 慕々山人  安政二刊カ(BnF Richelieu EST/Paris〈Dd3031〜3033〉)

○星月夜吾妻源氏(ほしづきよあづまげんじ) 初編  中一冊 慕々山人  安政三年春〔序〕(愛知県立大〈市橋文庫 四三三〉・高木

○淫編深閨梅(いんへんしんけいばい) 前後輯   中二冊 慕々山人  安政三〜四年刊(国文研〈ナ4-809〉、(後)〈ナ4-811〉・立命館ARC)

○佐勢身八開傳(させみはつかいでん) 前〜三集 中三冊 慕々山人  安政三〜四年刊(内田・服部・高木・国文研(三欠)〈ナ4-683-1〜2〉、(上)〈ハ3-114-4〉)

○鼡染春(ねつみそめはる)の色糸(いろいと) 初編   中三冊 慕朴齋   安政四年刊(国文研〈ナ4-801〉・立命館ARC)

○〈木曽(きそ)開道(かいだう)〉旅寐廼手枕(たびねのたまくら)    中一冊 妻恋淫士  安政四刊(山本)

○戀(こい)の湊露(みなとなさけ)の出島(でしま)   中一冊 當書山人〔序〕安政六刊(BnF Richelieu MSO/Paris〈Japonais 211B〉・ロシア国立図書館〈Yap.NS.59〉▼10・高木

○〈於七吉三〉封文戀情紋(ふうじぶみこひのじやうもん) 初編 中一冊 慕々山人  安政頃(立命館ARC)

○仇恋端唄(あだなこいはうた)の忍音(しのびね)    中一冊 當垣慕文〔序〕・色念人娘壺述 婦多川清水(立命館ARC)

○春色港入婦寐(しゆんしよくみなとのいりふね)初編  中一冊 大珍坊 阿奈垣主人 一廣開飯盛〔画〕 安政頃(ホノルル美術館)

 以下の△は所在不明「日本艶本目録(未定稿)」などに拠る。

△國盡戀路芝(くにづくしこいのみちしば)     一冊

△春色優源氏(しゆんしよくやさげんじ)     一冊 慕々山人 一交斎情水\幾丸 元治元序

△東海道驛路の鈴口  一冊 慕々山人作 松廼大木画 嘉永頃刊(改題本「東海道五十三陰門」)

 他に『椿説弓張月』の艶本が存したか。

▼9 以下、国文学研究資料館は「国文研」、国際日本文化研究センター艶本資料コレクションは「日文研」と略す。また、フランス国立図書館(旧館)は「BnF Richelieu/Paris」 EST は版画室、MSO は東洋写本室、立命館大学アートリサーチセンターは「立命館ARC」と略す。

▼10 『欧州所在日本古書総合目録』にロシア国立図書館(サンクト・ペテルブルグ)蔵とあり、原本を確認した。



  三 序文と解題

◆〈横櫛音海(よこぐしのおとみ) 向疵與謝(むかふきずのよさ)〉假枕浮名仇波(かりまくらうきなのあだなみ) 初編

仮枕(かりまくら)浮名(うきな)の仇波(あたなみ)
西施(せいし)の乳(ちゝ)と揮号(とのふ)る魚(うを)は、味美(あちはひび)なれども得(え)て毒(どく)あり。一口(ひとくち)もの鉄炮汁(てつほうしる)に、顋(ほう)を焦(こが)す居膳(すへぜん)の、辞退(じき)をせざるは男子(をのこ)の平常(つね)にて、我妻(わがつま)ならぬ〓喰(つまみぐひ)は、重(おも)きがうへの筑广(つくま)の鍋焼(なべやき)。河豚(ふぐ)なうらみぞ小夜衣(さよころも)よさぬる夜半(よは)の肉布團(にくぶとん)、其(その)暖味(あたゝかみ)に打込(うちこん)では、雪(ゆき)の夕(ゆふべ)の寒(さむさ)を覚(おぼえ)ず。片肌(かたはだ)(ぬひ)で黥刺(ほりもの)の腕(うで)の命(いのち)を忘(わする)るに至(いた)れり。嗚呼(あゝ)魔哉(こわいかな)陰門玉戸(もゝんがあ)と一個(ひとり)(たん)じて項(うなじ)を發(あげ)る。陰莖(せがれ)の天窓(あたま)をはるの夜(よ)の」枕草紙(まくらさうし)の趣向(しゆかう)として、一本(いつほん)かいた禿(しいのみ)(ふで)、帽(さや)のまゝなる皮被(かはかぶり)、原(もと)の脚色(すぢ)さへしら濱(はま)の、その仇浪(あだなみ)を題号(なだい)となし、たつや浮名(うきな)の世説(よがたり)は、彼(かの)與三郎(よさふらう)が陽物(えてもの)を、挾(はさ)まんこゝろの汐干狩(しほひがり)、蟹(かに)の歩行(あゆみ)の横櫛(よこぐし)音海(おとみ)が、かはく間(ま)もなき下(した)(ひも)を、解(とひ)てしつぽり濡事(ぬれこと)に、あれさいく夜(よ)の淫樂(たのしみ)も、忽(たちま)ちかはる修羅(しゆら)道場(だうじやう)、劔(つるぎ)の山(やま)に向(むか)ふ疵(きず)、きつても切(きら)れぬ合(あひ)恍惚(ぼれ)は、刺(つけ)ども盡(つき)ぬ悪縁(くされえん)にして、入れたたんへが抜(ぬ)かりよかのんし。中興(ちうこう)流行(はやり)し童謡(たうえう)は、二個(ふたり)が痴情(ちじやう)によくかなへり」遮莫(さばれ)(まよ)ひの雲(くも)(はる)れば、真如(しんによ)の月(つき)も明(あき)らかに、照(てら)すそ則(すなはち)煩悩(ぼんのう)菩提(ぼだい)、毒薬(どくやく)(へん)じてくすりとなる、作者(さくしや)が筆(ふで)の匙(さじ)加減(かげん)、烏犀角(うさいかく)を薬研(やげん)でおろす、形容(かたち)に似寄(により)の交合圖(わらひゑ)に、配劑(はいざい)なしし小工摺(こぐすり)の、彩色(いろどり)美備敷(びゝしく)(したて)たれば、微(すこし)は氣(き)の生(いく)効験(しるし)もあらんと安本丹(あんほんたん)の可道(きゝみち)を、能書(のうかき)めかして誌(しるす)になむ
    睦月(むつましづき)ひ女始(はじめ)の夕(ゆふべ)
      のり初(はしめ)の枕下(まくらもと)

戀岱淫士\慕々山人伏稟[印](上巻頭)


○作者(さくしや)机上(きしやう)に毫(ふで)を休(やす)めて、看官(ごけん)の好色諸君(すきしやたち)へ伏稟(つけたてまつる)。抑(そも/\)(こゝ)に綴(つゞ)りなす淫本(いんほん)三巻(みまき)は、専(もつば)らお富が与三郎が、痴情(ちじやう)淫楽(いんらく)の回(だん)を旨(むね)として、春心(あだごゝろ)発動(おこさ)するを要(えう)とせり。故(ゆゑ)に餘事(よじ)を巨細(こまか)にせざれば、首尾(しゆび)(まつた)きことを得(え)ず。遮莫(さばれ)両個(ふたり)の成行(なりゆき)を、微小(いさゝか)にても述(しる)さでは、物語(ものがたり)の趣意(おもむき)を失(うしな)ふなれば、巻毎(まきごと)の本末(もとすゑ)には、淫事(いんじ)に拘(かゝは)らぬ文(ぶん)も多(おほ)かり。譬(たとへ)は繪(ゑ)と淫詞(いひぐさ)は花(はな)と実(み)のごとく、前文(まくら)筋書(すじがき)は葉(は)のごとし。淫本(わらひぼん)の老實(まじめ)なるは、傾城(けいせい)に女今川の、講釈(かうしやく)して聞(きか)せる」やうにて、卯月(うづき)の櫻(さくら)ながめ栄(ばへ)せず。此理(ことはり)を知(し)る物(もの)から、成丈(なるたけ)短文(はしよつ)て此回(こゝに)(あらは)す。於富(おとみ)が海(うみ)に没(いつ)て後(のち)、不思議(ふしき)に命(いのち)を全(まつた)ふし、與(よ)三郎が疵(きず)(いえ)て、再(ふたゝ)び荏土(えど)に〓〓(さまよふ)ことなどは、三年(みとせ)往時(すぎたる)三回目(さんくわいめ)の淫事(いんじ)(たな)の妾宅(せうたく)にて、二個(ふたり)がはからず巡會(めぐりあふ)、その時(とき)の問答(かけあひ)(ぜりふ)にて知(し)り玉へと、念(ねん)の為(ため)(しる)すになん 東都(とうと)戀情夲(れんじやうぼん)一家(いつかの)元祖(ぐわんそ)

慕々(ぼぼ)山人(さんじん)再識(ふたゝびのぶる)[印]」(中巻末)

※半紙本三巻三冊。二代目婦喜用又平画。凝った表紙の意匠で見返、序の背景や口絵と全ての挿絵にまで色摺が施され、上中巻の口絵は折り込みになっていて広げると倍の巾になる。本文は根本風で会話を交えた仮名漢字混じり。中巻の冒頭には歌沢節を書体を替えて引用している。金色まで用いており、以下挙げる中本サイズの艶本とは別格の豪華な本である。内容は題名からも容易に推測可能であるが、『與話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)(嘉永六年、中村座初演)の作り替えで、嘉永七年刊か。林美一『江戸枕絵の謎』で一部分が引用紹介されており、福田和彦編『仮枕浮名の仇波』(浮世絵グラフィク7、KKベストセラーズ、一九九二)に不完全ながら翻刻されている。


◆風俗讃極志(ふうぞくさんごくし) 初編

序詞(しよし)
此頃(このごろ)いたう降續(ふりつゞ)く、春雨(はるさめ)の徒然(つれ%\)なる儘(まゝ)に、ほころぶ梅(うめ)の薫(かを)りゆかしく、我(わが)妻戀(つまこひ)の淫居所(いんきよじよ)なる。南窓うちひらき、庭(には)の外面(そとも)を見やる折(をり)しも、」垣(かき)をつたふ蚰蜒(なめくじり)の、其(その)(かたち)(ゆび)に似(に)たるを、腹筋(はらすぢ)陰門(つび)の如(ごと)き蝦蟇(かへる)の大(おほ)きやかなるが床下(ゆかした)より歩(あゆ)みより、口(くち)を開(ひらい)て呑(のま)んとするに、傍(かたへ)の植込(うゑごみ)の影(かげ)よりも、頭(かしら)は陰莖(へのこ)に髣髴(はうほつ)たる、青蛇(あをだいしやう)と歟(か)(よべ)るへびのずる/\と這出(はいゝで)つ。彼(かの)(ぼゝ)蝦蟇(がいる)を襲(おそ)はんさまにて、吐淫(といん)に等しき氣(き)を吐(はき)かくるに、此時(このとき)(まで)もすくみゐし蚰蜒(なめくじり)は前に進(すゝ)み、二(に)(ちう)の間(あはひ)を隔(へだつ)るに青大蛇(あをだいしやう)は是(これ)に怖(おそ)れ頭(くび)を縮(ちゞ)めて後辞去(あとじさり)、一進一退(いつしんいつたい)ひよこ/\のろ/\ぬら/\として白眼(にらめ)あひ」埋座(うづくまり)たる三噤(さんすくみ)は、漢土(もろこし)(ご)(ぎ)(しよく)(み)ッの國(くに)なる三個(みたり)(ひと)しき英雄(ますらを)の戦爭(あらそひ)にしも異(こと)ならずと、妄想(まうさう)に視(み)じ三蟲(さんちう)の異(こと)なる形(かた)のいとおかしく、是(これ)ぞ趣向(しゆかう)の種本(たねほん)と思(おも)ひ机(つくえ)に筆(ふで)を発動(おやか)し通俗(つうぞく)演義(えんぎ)礎題(どたい)とし、例(れい)の淫書(いんしよ)に綴(つゞ)らばやと初編(しよへん)一稿(いつかう)(だつ)し畢(をは)り数員(どかず)を重(かさ)ねて股庫(またぐら)を潤(うるほ)さんとの計策(もくろみ)なりしが三國志(さんごくし)の飜案(ほんあん)だけに、三輯(さんばん)(ぐらゐ)て氣(き)をやれよと梓主(はんもと)よりの注文(ちゆうもん)に、殘(のこ〔り〕)りをしさも弥増(いやまし)て、編足(した)らぬながら入詰(いれづめ)は、腎虚(じんきよ)の種(たね)と思ふもの」から、ぐつと引抜(ひきぬく)原書(げんしよ)の脚色(しくみ)、その筋張(すぢばつ)た大物(おほもの)と、競(くらべ)ものには奈良(なら)(つけ)の、最(いと)(かす)(くさ)き皮(かは)かむり、たんのうするほど行届(ゆきとゞか)ぬは、青(あを)い猴児(こぞう)の蕃椒(とうがらし)、珍鉾(ちんぼこ)だけと見ゆるし給へ
  腹(はら)太鼓(だいこ)うつ初午(はつうま)ごろ大(おほ)きな御利生(ごりしやう)
  突張(つゝばり)ながら妻戀(つまごひ)の淫士(いんし)乱亭(らんてい)のあるじ

慕々散人戯述 ◇


◆風俗讃極志(ふうぞくさんごくし) 二編

風俗讃極誌(ふうぞくさんごくし)第二編(だいにへん)
謀計(はかりこと)を惟幕(ゐばく)の中(うち)にめぐらし、勝利(かつこと)を千里(せんり)の外(ほか)にしらすは名将(めいしやう)勇士(ゆうし)の常(つね)にして、交合(する)ことを蒲団(ふとん)の上(うへ)に行(おこな)ひ、鼻息(はないき)を屏風(へうふ)の外(そと)に洩(もら)すは、戀情(れんじやう)淫事(いんじ)の持(もち)まへなり。されば傾國(けいこく)の一(いつ)婦人(ふじん)には、百万(ひやくまん)の大敵(たいてき)も舌(した)を巻(まき)薙刀(なぎなた)のなりの向(むか)ふ疵(きず)に、鎗先(やりさき)の功名(こうみやう)(かけ)を争(あらそ)ひ、雨(あめ)の箭頭(やさき)に雲(くも)の楯(たて)、入乱(いりみだれ)たる闘戦(たゝかひ)には死(しぬ)よ/\の声(こゑ)かまびすし。そも春画(わらひゑ)は軍用(くんよう)の」最(さい)第一(だいいち)となせる物(もの)にて具足(ぐそく)の櫃(ひつ)に入(いれ)(おく)(こと)戰場(せんじやう)に望(のぞみ)(てき)をたいらけ勝利(しやうり)帰陣(きぢん)の砌(みきり)といふとも、勇氣(ゆうき)自然(しぜん)に叛上(さかのぼ)り和(やはら)くこと能(あた)はされは、明日(あす)の進退(かけひき)自在(じさい)を得(え)ず、依(より)て春画(しゆんぐわ)を披(ひら)き見ればいかなる猛(たけ)き武士(ものゝふ)も、心(こゝろ)(やは)らき笑(ゑみ)を含(ふく)むは、実(じつ)に春画(しゆんぐわ)の徳(とく)にして、わらひ繪(ゑ)の名(な)も空(むな)しからすと淫時(いんじ)の乱(らん)をわすれぬ為(ため)。治世(ちせい)の今(いま)の萬々歳(ばん/\ぜい)まで、此ことわりを傳(つた)へんと、かき綴(つゞり)たり讃極志(さんごくし)を六韜(りくとう)三略(さんりやく)(とら)の巻(まき)とも、愛(めて)たまはらば作者(さくしや)の」面目(めんぼく)、萎(なゑ)たる陰莖(へのこ)を起(おこ)すに至(いた)らん
  寒風(かんふう)(さつ)て春心(しゆんしん)揺動(うごめ)く睦月(むつまじつき)の下旬(すへつかた)
  野交庵(やかうあん)の南窓(なんさう)に猫(ねこ)の交合(さかり)を見る日(ひ)

東都(とうと)妻戀(つまこひ)淫士(のいんし)\ 慕々山人戯誌 [印][亂亭呂文]


◆風俗讃極志(ふうぞくさんごくし) 三編

風俗讃極誌(ふうぞくさんごくし)第三編(だいさんべん)結局(けつきよく)
浮屠(ほとけ)氏も誓扶(せいぶ)習生(しつせう)なければ、八相(はつさう)成道(じやうだう)の化儀(けぎ)調(とゝの)はず、凡夫(ぼんぶ)も戀慕(れんぼ)愛別(あいべつ)なくては、男女和合(わがう)の情(じやう)を失(うしな)ふ。夫(それ)色欲(しきよく)は真如(しんによ)の導(みちび)き、煩悩(ぼんのう)(すなは)ち菩提(ぼだい)の種(たね)と、爰等(こゝら)を脚色(しくみ)の柱礎(どだい)とし、讃佛乗(きんぶつじやう)の因縁(いんゑん)から、此(この)讃極誌(さんごくし)を綴(つゞ)りなし、陰莖(へのこ)の頭(さき)を筆(ふで)頭に、換(かえ)て白癡(たわけ)を盡(つく)しゝが、三輯(さんしう)にして氣(き)を洩(もら)せり。かゝる淫史(いんし)の中にしも、勸懲(くわんちやう)の意(ゐ)を失(うしな)はざるは、余(よ)が筆力(ひつりよく)の妙にして、」作者(さくしや)の用心(ようじん)(こゝ)にあり。嗚呼(ああ)(だん)(なん)ぞ容易(ようゐ)ならぬ、一切(いつさい)衆生(しゆしやう)の根(こつ)本たる、彼(かの)玉門(きよくもん)の尊(とうと)き味(あぢ)を、知らて譏(そし)る野暮(やほ)ありとも更(さら)に絲瓜(へちま)の皮(かわ)とも思はず、まらかしやァがると嘲(あざけ)る而巳(のみ)
  于時(ときに)卯月上旬(はじめつかた)、隣家(りんか)の喜悦(よがり)(ごゑ)を蜀魂(ほとゝぎす)の、初音(はつね)
  と交(まじ)へて聞(きく)夜辺(いうべ)、妻戀(つまこひ)の淫室(いんたく)に局(きよく)を結(むすび)

天上(てんじやう)天下(てんが)唯我(ゆいか)獨身(とくしん)の寡漢(やもめもの)\ 慕々山人戯題 ◇[文]


※中本三編三冊。立通亭茶之子画、表紙・見返・序の背景・口絵には色摺が施されている。二編十二丁裏の挿絵中に描かれた手拭いに「岳亭」と思しき印があるので、画工は二代目の岳亭か。また、後ろ表紙には品川屋久助板と同じ意匠を用いているので、板元は品川屋かと推測される。

『三国志演義』に基づく作り替えであるが、「風俗」は「通俗」を利かせているようであるから、池田東雛亭『繪本通俗三國志』(天保七〜十二年)を粉本としているのであろう。各編に付けられた章節の小見出しは次のようにある。

初編

○こんな赤縄(ゑにし)が唐模様(からもよう)しつぽく料理の居膳(すえぜん)は桃園亭(もゝぞのてい)の酒宴(もり)

○煩悩(ぼんのう)の犬(いぬ)もあるけば開(ぼゝ)に當(あた)る犯(くひ)かせぎの仕事師(しごとし)

○大陰莖(おほまら)と廣開(ひろつび)の取組(とりくみ)は百(もゝ)手を砕(くだ)いて揉合(もみあふ)た戀角力(こひすもふ)

○尻尾(しつほ)を出(だ)した女狐(めぎつね)が再(ふたゝ)び化(ばけ)た金毛(きんもう)白面(はくめん)の化粧(みじまひ)部屋(べや)

○手管(くだ)のわなと毛深い陰門(あな)へ落かゝつた魏國屋(きのくにや)の主人(たいせう)

二編

○又(また)こりずまの開(まめ)盗人(どろぼう)は虎穴(こけつ)に入(いつ)て虎兒(こじを)(う)る英雄(ゑいゆう)の謀計(はかりごと)

○乗(のり)て見たい腹櫓(はらやぐら)赤縄(ゑにし)の横綱(よこつな)ひつぱつた伊達娘(だてむすめ)

○大(おほ)若衆(わかしゆ)が新開(あらばち)わるで氣(き)ざしてきたと古開(ふるばち)は小若衆(こわかしゆ)の間に合せ

○人を咒(のろ)はゞ二ッの陰門(あな)に落(おち)かゝつた妾宅(せうたく)の惡(わる)だくみ

三編

○樂屋(がくや)新道(しんみち)のごた付は僞(にせ)男根(まら)(つか)ひが乱妨(らんぼう)〓藉(らうぜき)

○炬焼(こたつ)の中のころび寐は雪おろしの積(つも)る睦言(むつごと)

○其二(そのに) 雪見にころんで只(たゞ)は起(おき)ぬ新開(あらばち)の佳肴珎味(ごちそう)

○太皷(たいこ)の抜(ぬけ)がけは見(み)ぬふりをした密夫(みつふ)の返報(へんほう)

○息子(むすこ)の淫念(おもひ)をはらさせたいが開(ぼゝ)一ばいの後家(ごけ)の密會(であひ)

○三方(さんばう)(おさま)る床(とこ)の中(うち)は第三編(だいさんべん)の讃極秘(さんごくひ)

例に拠って登場人物名なども典拠に基づいて艶本に相応しく直しており、「魏國屋(ぎのくにや)宗兵衛(そうべゑ)」、町(まち)唄女(げいしや)樂屋(がくや)新道(しんみち)の「阿蝉(おせん)」、黄金屋(こがねや)の遊女(いうぢよ)「角万人(すまひと)」 始(はじめ) 穴氣橋(あなぎばし)の唄女(げいしや)「姐已(だつき)の阿多魔(おたま)」、「黒江屋(くろえや)徳三郎(とくさぶらう)(俳名(はいみやう)柳眉(りうび)」、徳三郎の妻「阿甘(おかん)」、一子「阿斗松(あとまつ)」、徳三郎の妹「於兔馬(おとめ)」、黒江屋の手代「李助(りすけ)」、角力取(すまひとり)「雲(くも)の戸(と)関之助(せきのすけ)」、深草(ふかくさ)奥山(おくやま)の茶店(ちやや)(むすめ)「櫻木(さくらぎ)の於香(おかう)」、呉服屋(ごふくや)孫右衛門(まごゑもん)の二男(じなん)「権之助(ごんのすけ)」、太鼓(たいこ)医者(いしや)「太井(ふとゐ)陰莖(いんきよう)」、俳諧師(はいかいし)「臥龍菴(がりやうあん)諸葛(もろくず)」、諸葛(もろくず)(てかけ)「於智惠(おちえ)」、妹「於琴(おこと)」、呉服屋(ごふくや)の後家(ごけ)「於乱(おらん)」、落語家(はなしか)「野面(のづら)淫樂(いんらく)」、鳶(とび)の者(もの)「燕(つばくら)の張吉(ちやうきち)」、という具合である。

◆星月夜吾妻源氏(ほしづきよあづまげんじ) 初編

星月夜吾妻源氏(ほしづきよあづまげんじ) 初編序詞
紫姫(しき)、五十四帖(ごじふよじやう)の翠簾紙(みすがみ)を費(ついや)して、張形(はりかた)に情(じやう)をうつし、佐称彦(さねひこ)(ゆび)に筆(ふで)を労(らう)して、當書(あてがき)に人を喜悦(よがらす)。夫(それ)は官女(くわんぢよ)が閨房(ねや)の徒然(つれ/\)、是(これ)は稗家(はいか)の机上(きしやう)の洒落(しやらく)、都(みやこ)と田舎(いなか)の差別(けじめ)はあれど、恋(こひ)に貴賎(じやうげ)の隔(へだて)はなく、交合(とぼす)に異(ことな)ることやはあらめ。玉門(おめこ)色界(しきかい)、開(ぼゝ)珍宝(ちんぼう)。されば浮気(うはき)の春曙(しゆんしやう)一刻(いつこく)、價(あたひ)千金(せんきん)をなげうつも、悉皆(しつかい)男根(せがれ)の業物(わざもつ)にて、すつてんてれつく天狗(てんぐ)(めん)の、亀頭(あたま)を持上(もちやげ)るおかげ」ならずや。一度(いちど)(いか)りを發(はつ)すれば、ふしくれ立(だつ)て筋張(すぢばり)たる、紫色(むらさきいろ)の由縁(ゆかり)から、思(おも)ひつくえに、皮(かは)かぶりの、椎(しゐ)の実(み)(ふで)の〓(さや)をはづして、又(また)かきかける故人(こじん)の真似彦(まねひこ)。其(その)(りう)(てい)に、いさゝかちなみて、西(にし)の世界(せかい)を東(ひがし)へ移(うつ)し、吾妻(あづま)(げん)(じ)の時代(じだい)世話(せわ)、光(ひか)る君(きみ)にはふさはしき、雲井(くもゐ)に輝(かゞや)く星月夜(ほしづきよ)、鎌倉山(かまくらやま)を東山(ひがしやま)と、やゝ附會(こじつけ)た一夜漬(いちやづけ)。心(こゝろ)(あま)りて言葉(ことば)(たら)ぬは、出合(であひ)に等(ひと)しき寸(ちよん)の間(ま)なれば、人(ひと)の来(こ)ぬ間(ま)にさつ/\と、初編(しよへん)一部(いちぶ)とぼしたばかりで、」ろくに氣(き)のいく事(こと)さへ知(し)らず。まだ觜(くちばし)も青蕃椒(あをとうがらし)珍宝亭(ちんほうてい)の南椽(なんえん)なる、淫水(いんすゐ)の流(ながれ)を楽(たのし)み、毛深(けぶか)き処(ところ)に採毫(ふでをとる)
  于時(ときに)男根(なんこん)\たつの年(とし)\春心(しゆんしん)發動(はつどう)の\吉旦(きつたん)

吾妻(あがつま)(こひ)しとの給ひたる\舊跡(ふるあと)に住(すめ)る淫士(いんし) 慕々山人記 [枕]」(巻頭)

巻末に次のようにある(読点を補った)

○星月夜吾妻源氏(ほしつきよあづまげんじ)〈初編二編三編 不残大尾出板〉
偐紫(にせむらさき)に由縁(ゆかり)をもとめし時代(じだい)模様(もやう)の鎌倉(かまくら)御所(ごしよ)、源(げん)(け)(さん)(せ)の淫楽(いんらく)得失(とくしつ)、武(ぶ)ばつた中の閨房(けいばう)(ご)(たん)、編(へん)を継(つぎ)(まき)を重(かさ)ねて、追々(おひ/\)發市(はつし)の桜木(さくらぎ)に、花を咲(さか)する作者(さくしや)の腹(した)稿(がき)、迷(めい)々色(しき)(かい)、春情(しゆんじやう)奇縁(きえん)、輝(かゞや)く君(きみ)になそらへたる、好色漢(まめをとこ)の所行(おこない)を見(み)ると欲(ほり)する官看(ごけんぶつ)は、且(かつ)下回(かくわい)の分(ふん)(かい)を聴(きけ)

板元 淫莖堂敬白」(51ウ)

※序末に「于時(ときに)男根(なんこん)たつの年(とし)春心(しゆんしん)發動(はつどう)の吉旦(きつたん)」とある。この手の艶本は安政期に多く手掛けていることから、安政の辰年と判断し安政三年刊と推定した。中本一冊。架蔵本の後ろ表紙は後補。同板の愛知県立大学市橋文庫本は表紙を欠くが、後ろ表紙は源氏香の意匠を施す原表紙と思われる。見返・序文の背景・口絵にのみ水色などが使われている。二編以下未見。

柳亭種彦の合巻『偐紫田舎源氏』(初二編)を翻案したもの。表紙の意匠や口絵・挿絵なども典拠の面影を写している。表紙は白地に黄と褐色の小片を金砂子風に多数散らし、さらに空摺りで無数の横皺を施して檀紙の風趣に擬えるているが、これは『偐紫田舎源氏』のシリーズで採用された表紙の意匠である。本作は、まったくこれを模倣したもので、『偐紫』二編上冊に描かれた藤の方に摸した女性の立ち姿となっている。また、見返にあしらわれた藤の枝と石山硯(石山寺源氏の間に置かれた紫式部使用という寺宝の硯)も、『偐紫』の仮託作者「阿藤」の名に因んだものと思しく、硯は『偐紫』初編上冊の見返の意匠を踏まえたもの。

口絵第一図は「源頼朝公」と「頼朝愛妾朝霧」とを描き、「長恨歌\春宵苦短日高起」と賛を入れる。これは『偐紫』初編上冊の口絵(三ウ四オ)「桐壺の帝」「桐壺の更衣」の姿をそのまま模写したもので、ご丁寧に「長恨歌」も同様に賛として用いている。口絵第二図は衝立を隔てた「頼朝別室冨士方」と「源實朝公」と描くが、これも『偐紫』二編上冊の口絵(壹ウ二オ)「足利義正の別室藤の方\藤壺の宮に比(ひす)」「足利次郎光氏\光君に比(ひす)」の姿を写したものである。

挿絵も『偐紫』を利用したものが多いが、特に「内室政子前黒糸と密話\同人丸社の場」(三十六ウ三十七オ)は、『偐紫』二編の挿絵(十二ウ十三オ)(十三ウ十四オ)とを、折り返した意匠で一図にまとめたものである。斯様な工夫は本作に始まったものではなく前例もあるが、やはり凝った趣向だと云えよう。さらに手が込んでいるのは、対応する登場人物の着ている着物の意匠を『偐紫』と同様にしてあるので、政子は〔冨徽(とよし)の前(弘徽殿女御)〕、冨士の方は〔藤の方(藤壺)〕、源頼朝は〔足利義正(桐壺帝)〕、朝霧は〔花桐(桐壺更衣)〕、源実朝は〔足利光氏(光君)〕、夕顔は〔昼顔(後凉殿更衣)〕という対応関係は明瞭である。これは侍女などにまで及び、黒糸は〔色糸〕、松ヶ枝は〔杉生〕、黄菊は〔小菊〕、銀杏〈刈茅(かるかや)〉は〔桔梗〈刈萱(かるかや)〉〕という具合である。

さて本文に関しても同様にほぼ『偐紫』に拠っていて、本作の人丸社での忍び会いの場面では

○跡(あと)ハ松風(まつかぜ)ふきそひて御燈(みとう)の光(ひか)りかげ薄(うす)くいとしん/\たる社(やしろ)のうち戸帳(とてう)かゝげて立出(たちで)る実朝(さねとも)ほつとばかりに吐息(といき)つき
「かくれ遊(あそ)びに思(おも)はずもいち/\聞(きゝ)とる館(やかた)の大事(だいじ)きのふふしきに黒糸(いと)が落(おと)せし文(ふみ)をひろいしも日頃(ひごろ)(しん)ずる神(かみ)の徳(とく)ヱヽかたじけなやありがたや
トふしおがみつゝ懐(ふところ)より手遊(てあそび)の笛(ふゑ)取出(とりいだ)し合図(あいづ)とおぼしくふきならせバ供(とも)をもつれずふじの方(かた)築山(つきやま)の細道(ほそみち)をめぐりてあたりを伺(うかゞ)ひ/\
(ふじ)「実朝(さねとも)さまさいせんのおふみゆゑいかなる事(こと)かと氣(き)づかわしくさいぜん植(うへ)ごみに身(み)をひそめ
(実)「サァおまちどうをバさつしながらいよ/\くわきうにせまつた大事(だいじ)
(ふじ)「ャ
(実)「ィャだいじないわたしのそばへおよりあそばせいまめかしい事(こと)ながら此(この)実朝(さねとも)をしん実(じつ)にかわゆうあなたハおぼしめすか
(ふじ)「アノ此(この)(こ)としたことが人(ひと)の居(ゐ)ぬ其時(そのとき)ハわたしも実(じつ)ハ子(こ)のあしらひおまへとても心切(しんせつ)に母(はゝ)よ/\としたうものいとしうなうてなんとせう
(実)「さやうならわたくしがいたゞきたいものがある
(ふじ)「ヲヽなんなりとあげうはいな
(実)「ほかでもないお命(いのち)を下(くだ)さりませと抜(ぬき)はなす白刄(しらは)の下(した)を動(うごき)もやらず
(ふじ)「ハテ死(し)ねなら死(し)にもせうマアさわがずとわけをしづかにいうたがよひ
(実)「ハヽァあつぱれのおんたましいそのお心(こゝろ)にほれましただかれて寐(ね)て下(くだ)さりませサヽおどろきハ御(ご)もつとも親(おや)に不義(ぎ)をしかくるからハ生(いき)ていぬのハ元(もと)より覚悟(かくご)お命(いのち)を下(くだ)されと申(まうし)たのハ若(もし)此戀(このこひ)がかなはぬ時(とき)ハもろともに
トよりそひ給へバふじの方(かた)につこりと打(うち)(ゑみ)給ひ
(ふじ)「世界(せかい)に女(をんな)もないやうに道(みち)にそむいてわらはへ戀慕(れんぼ)なんぞこれにハふかいやうすが
(実)「サァそのことハあからさまにハどうも今(いま)ハまうされぬ心(こゝろ)の丈(たけ)を文(ふみ)にかきそつとおわたしまうしませう
(ふじ)「ホンニ何(なに)から何(なに)までも利(り)はつなお子(こ)じやと日頃(ひごろ)からおもひがけなく今宵(こよひ)の仕義(しぎ)わたしも朝夕(あさゆう)そなたの事(こと)ハとひつたりとよりそへバ
(実)「そんなら思(おも)ふて下(くだ)さりましたかヱヽおうれしうござります
としがみついていだきしめ顔(かほ)見合(みあは)せて口(くち)ト口(くち)チウ/\/\トしばらくすいて実朝(さねとも)ハふじの方(かた)のいもじをかき分(わけ)……

という次第で濡れ場へ続くわけであるが『偐紫田舎源氏』の該当箇所(第二編下冊、十四ウ十五オ)は、

(あと)は松風(まつかぜ)(ふ)き添(そ)ひて、御灯(みとう)の光影(ひかりかげ)うすく、いと深(しん)/\たる社(やしろ)の内(うち)、斗帳(とちやう)かゝげて立(た)ち出(で)る光氏(みつうぢ)、ほっとばかりに吐(と)(いき)をつき、「隠(かく)れ遊(あそ)びに思(おも)はずも、いよ/\聞き(きゝ)とる館(やかた)の大事(だいじ)。昨日(きのふ)不思議(ふしぎ)に白糸(しらいと)が、落(おと)せし文(ふみ)を拾(ひろ)ひしも、日頃(ひごろ)(しん)ずる神(かみ)の徳(とく)、あらかたじけなや有難(ありがた)や」ト、伏(ふ)し拝(をが)みつゝ懐(ふところ)より、手遊(てあそ)びの笛(ふえ)とり出(いだ)し、合図(あいづ)と思(おぽ)しく吹(ふ)き鳴(な)らせば、供(とも)をも連(つ)れず藤(ふぢ)の方(かた)、築(つき)山の細道(ほそみち)を、めぐりて辺(あた)りを窺(うかゞ)ひ/\、「光氏様(みつうぢさま)、笛(ふえ)の音(ね)を聞(き)いたなら、人に知(し)らさず此社(やしろ)へ、忍(しの)んで来(こ)よとのお捻(ひね)り文(ぷみ)、袂(たもと)へ入(い)れ給(たま)ひしゆゑ、いかなる事(こと)かと気遣(きづか)はしく、最前(さいぜん)より泉水(せんすゐ)の、土橋(どばし)を渡(わた)り身(み)を潜(ひそ)め」「さア御待遠(おんまちどを)をば察(さつ)しながら、いよ/\火急(くわきう)に迫(せま)った大事(だいじ)」「や」「いや大事(だいじ)ない私(わたくし)の、そばへお寄(よ)りあそばしませ。今(いま)めかしきことながら、此光氏(みつうぢ)を真実(しんじつ)に、可愛(かわゆ)うあなたは思(おぽ)し召(め)すか」「あの此子としたことが、人の居(ゐ)ぬその時(とき)は、わたしも実(じつ)の子のあしらひ、そなたとても親切(しんせつ)に、母(はゝ)よ/\と慕(した)ふもの、愛(いと)しうなうて何(なん)とせう」「左様(さやう)なら私(わたくし)が、頂(いたゞ)きたい物(もの)がある」「ヲヽ何(なん)なりとやらうわいな」「ほかでもない、お命(いのち)を下(くだ)さりませ」ト抜(ぬ)き放(はな)す、自刃(しらは)の下(した)を動(うご)きもやらず、「はて死(し)ねならば死(し)にもせう、仰山(ぎやうさん)に騒(さわ)がずと、訳(わけ)を静(しづ)かに言(い)ふがよい」「はゝア、さすが祖父(おほぢ)の御血筋(おんちすぢ)、あつぱれの御魂(おんたましゐ)そのお心に惚(ほ)れました抱(だ)かれて寝(ね)て下(くだ)さりませ。さ、さ、驚(おどろ)きは御(ご)もつとも、親(おや)に不義(ふぎ)を仕掛(しか)くるからは、生(い)きてゐぬのは元(もと)より覚悟(かくど)。お命(いのち)を下(くだ)されと申(もう)したのは此恋(こひ)が、叶(かな)はぬ時(とき)はもろともに」ト、寄(よ)り添(そ)ひ給(たま)へば藤(ふぢ)の方(かた)、につこりとうち笑(ゑ)み給(たま)ひ、「世界(せかい)に女もないやうに、道(みち)に背(そむ)いて妾(わらは)へ恋慕(れんぽ)、何(なん)ぞこれには深(ふか)い様子(やうす)が」「その事(こと)はあからさまに、どうも今は申(もう)されぬ、心の丈(たけ)を文(ふみ)に書(か)き、そつとお渡(わた)し申(もう)しませう。なるほどこれでは尤(もつと)もぢやと、思(おぽ)し召(め)したら明日(あす)の夜(よ)は」「忍(しの)んで来(き)やれ、会(あ)ふてやらう」ト、のたまふ後(うしろ)に聞き(きゝ)ゐる杉生(すぎばえ)、袖(そで)に隠(かく)せし雪洞(ぽんぽり)を、差(さ)し出(だ)す火影(ひかげ)に見合(あ)はす顔(かほ)、はつと驚(おどろ)き差添(さしぞへ)の、刀背(むね)にて光氏(みつうぢ)雪洞(ぼんぼり)を、そのまゝはたと打(う)ち落(おと)とす、弾(はづ)みに袂(たもと)をこぼるゝ密書(みつしよ)、杉生(すぎはえ)手早(てばや)に拾(ひろ)ひとる、途端(とたん)に山名(な)の忍(しの)びの者(もの)、組(く)まんと寄(よ)るを藤(ふじ)の方(かた)、ひらりと外(はづ)して突(つ)きやるを、取(と)つて押(おさ)へて光氏(みつうぢ)が、ぐつと突(つ)つこむ氷(こほり)の刃(やいば)、うんとも言(い)はず忍(しの)びの者(もの)、そのまゝそこに倒(たを)れ伏(ふ)す。言葉(ことば)はなくて三人ンは、別(わか)れ/\になりにけり。

(『新日本古典文学大系』に拠る)

というように、基本的には『偐紫』の本文(仮名ばかり)を適宜省略しつつ引用して漢字を宛てて書き直している。話の運びには適宜濡れ場を挿入している以外、ほぼ『偐紫』を踏襲しているが、例えば車争いに擬した章段などは全く省かれている。

なお、『偐紫田舎源氏』が多く艶本化された素材であることは、林美一『秘版源氏絵』(緑園書房、一九六五年)などを参照のこと。

◆佐勢美(させみ)八開仕(はつかいし) 初編

佐勢美(させみ)八開傳(はつかいでん)前編(ぜんぺん)
(さき)に曲取(きよくどり)主人(しゆじん)、狗國(くこく)の犬(いぬ)交合(どり)の古事(ふるごと)を、皇朝(みくに)の摸(さま)に横(よこ)(どり)して、一部(いちぶ)の淫書(いんしよ)を綴(つゞ)りなせり。そが脚色(きやくしき)や里見(さとみ)(うし)の淫(いん)(えん)淫果(いんぐわ)(その)(こ)に報(むく)ひ、彼(かの)佐勢姫(させひめ)が名詮(めうせん)自性(じせう)、赤縄(ゑにし)の絲(いと)に繋(つな)ぎ合(あは)せし、女悦(によえつ)道具(だうぐ)のりんの玉(たま)、數(かず)も百八(ひやくはち)煩悩(ぼんのう)の犬(いぬ)にひかれて足曳(あしびき)の、富山(とやま)の奥(おく)のその奥(おく)の、ぐつとおくまで押(おし)(こま)れ、アレモウどふもの喜悦(よがり)(ごゑ)、人畜(にんちく)有非(うひ)の隔(へだて)はあれど陽(いん)」陰(やう)の情(じやう)かわる事(こと)なく、替(かわ)らぬ女夫(めおと)の洞(ほら)住居(ずまひ)、その氣(き)を受(うけ)て八(やつ)の子(こ)を、身(み)に宿(やと)したる珎説(ちんせつ)竒話(きわ)を、其儘(そのまゝ)生捕(いけどる)(ゐ)(ちや)(うす)の本手(ほんて)を礎(どだい)に淫犯(とぼし)かくるは、例(れい)の自己(おのれ)が好色(すき)の道(みち)。まだ淫本(このほん)の發端(あらばち)ゆゑ開場(はじめ)は少(すこ)しかたけれど、二編目(にどめ)あたりは和々(やわ/\)とよい塩梅(あんばい)に濡場(ぬれば)のしうち、村雨丸(むらさめまる)の業物(わざもの)を、〓(さや)をはづして打(うち)ふる信乃(しの)濱路(はまぢ)が受身(うけみ)にびつしよりと、おほひかゝりし吐淫(といん)の水氣(すゐき)、こつてりとした所(ところ)まで追々(おひ/\)お眼(め)に觸(かけ)ますれば、御(ご)退屈(たいくつ)なく御(ご)(らん)」の程(ほど)を氣(き)が幾重(いくえ)にも希(こひねが)ふと、夜職(よなべ)の閨(ねや)の屏風(びやうぶ)の中(うち)から口序(かうぢよ)めかして述(のぶ)るものは

      東都(とうと)淫情本(いんじやうぼん)一家(いつかの)元祖(ぐわんそ)
      妻戀(つまごひ)淫士(のいんし)野交庵(やかうあんの)主人(あるじ)

慕々(ほぼ)山人(さんじん)\乱亭(らんてい)伊呂文(いろぶみ)\ ◇[印]

   草木(くさき)も芽(め)(だ)す\氣(き)さらぎの頃(ころ)\ぴん/\毫(ふで)をおやかして

◆佐勢身(させみ)八開傳(はつかいでん) 二編

佐勢身(させみ)八開傳(はつかいでん)第二編(だいにへん)
大淫(たいいん)は交合(いちぎ)に陰(かく)ると、老子(らうし)の妙言(めうげん)(むべ)なるかな。余(よ)が婬朋(いんぼう・イロノトモ)慕々(ほゝ)山人(さんじん)、曽(かつ)て東都(とうど)の戀(こひ)ヶ岡(おか)に、野合庵(やがうあん)てふ淫室(いんしつ)をかまえ、彼(かの)風來(ふうらい)が痿(なへ)(まら)の淫逸傳(いんいつでん)を礎(とだい)として、此(この)發顕傳(はつけんでん)を綴(つゞ)りなせり。そが文章(ぶんしやう)の淫微(いんび)あるや、外(ほか)色欲(しきよく)の愛情(あひじやう)を専(もつぱ)ら述(のべ)、内(うち)(ほつ)菩提(ぼだい)の勸懲(かんちやう)をこめり。抑(そも/\)」式部(しきぶ)が源氏物語(げんじものがたり)、李卓吾(りたくご)が金瓶梅(きんぺいばい)の如(ごと)き、和漢(わかん)一對(いつゝい)の淫書(わじるし)にして、面(おもて)に錦繍(きんしゆう)を題(だい)すれども、心(こゝろ)に淫乱(いんらん)の脚色(しくみ)(おほ)かり。夫(それ)(かく)れたると現(あらは)れたると、何(いづ)れ歟(か)潔白(けつぱく)なるべきや。余(よ)は慕々(ぼゝ)先生(せんせい)をして、紫姫(しき)卓吾(たくご)が筆冠(かみ)たらしむ。嗚呼(あゝ)乱亭(らんてい)の一家(いつか)の風調(ふうちやう)、実(じつ)に戀情本(れんじやうぼん)の親玉(おやだま)と称(たゝへ)ん。看官(みるひと)十把(しつぱ)ひとからげに」味噌(みそ)と屎(くそ)とを混(こん)ずることなかれと云云(うん/\)

  戀岱(れんたい)淫士(いんし)の龍陽友(けつなかま)
  外桜田(そとさくらだ)の好(いろ)男子(おとこ)

喜婦亭のあるじ\淫里しるす

五月雨(さみだれ)に股(また)ぐらの\びしよ/\しめる夕辺(いうべ)


◆佐勢身(させみ)八開傳(はつかいでん) 三編

八開傳端像 序詞
(いろ)(この)まざらむおのこは玉の杯(さかつき)(そこ)なしとならひが丘(おか)の木(き)の端(はし)はいへりける実(け)にや遠(とほ)くて近(ちか)きは此(この)(みち)の中(なか)らひにて楽しく嬉(うれ)しきもまた男女(おとこおみな)の契(ちき)りぞかし余(おのれ)(その)むつひことのさまを清女(せいちよ)が筆(ふて)のすさび」には似るへうもあらざめれど枕(まくら)さうしてふ冊(とちふみ)にものし且(かつ)今様(いまよう)の繪(ゑ)さへくわえて四(よ)方の好人(すきひと)にさつくるもならびか丘(おか)の枕(まくら)ならへし雛形(ひなかた)にもならざめやとの婆(うは)こゝろにぞ有ける斯(かく)いふは色(いろ)の道(みち)に底抜(そこぬけ)と呼(よは)ばれぬる妻(つま)戀の淫士(いんし)
閏皐月季旬

慕々散人戯記 ◇

※「閏皐月季旬」は「安政四年閏五月下旬」。中本三編三冊。〔安政四年刊〕二月・五月・閏五月〔序〕。「佐勢川茶子画」(外題)〔品川屋久助板〕。後ろ表紙の意匠は「五七桐紋に源氏香」(国文研本〈三編欠〉と架蔵本の三編に残存している)。これが「品川屋久助」が別本で用いているものであることから品川屋板であると推定される。錦絵風摺付表紙、見返と口絵とには重摺りを施す(後印の内田本には省かれている)。外題「佐世身八開傳(初編・貳編・三編)」、見返題「させみ八開傳(初編・二編・三へん)」、序題「佐勢身八開傳(させみはつかいでん)前編(ぜんぺん)叙・佐勢身八開傳(させみはつかいでん)第二編(だいにへん)序・八開傳端像 序詞」、内題「佐勢美八開士(させみはつかいし)前集・佐勢身八開傳(させみはつかいでん)二編・佐勢身八開傳(させみはつかいでん)三編」、尾題「佐勢美八開仕(させみはつかいし)前集(ぜんしう)終・佐勢美八開傳(させみはつかいでん)二編終・佐勢身八開傳(させみはつかいてん)三編大尾」と初編と二三編の間で微妙に差異が見られる。さらに、前編は一丁当り十行で、ほぼ総ルビに近い中本型読本風の板面を持つが、挿絵にも本文が入り込んでいる。一方、二編以降は一丁当り十一行で文字も小さくかなり振仮名が省かれていて切附本風の板面である。これらのことから、初編と二三編の間で出板に関する若干の方針変更が行われたものと思われる。なお、摸写した図版が入れられた孔版による翻刻本が存す (禾口庵文庫蔵)

本作は比較的丁寧な八犬伝の改作であり、登場人物名にそれらしい工夫を凝らした上で、以下の通り、原作の名場面を挙げて八犬士を全員登場させ、大団円まで筋を運んでいる。上に章題、中に「登場人物名」など、下に〔場面〕を記してみた。

 第一章(だいいつしやう) 煩悩(ぼんのう)の犬櫻(ざくら) 「里見淫婦(いんぷの)大輔(いふ)好核(よしざね)、佐勢姫(させひめ)、淫果(いんくわ)」 〔発端〕
 第二章(だいにしやう) 若木(わかぎ)の鎗梅(やりうめ) 「金勢(かなまら)大好(だいすき)鴈高(かりたか)、妾 玉章(たまづさ)、訥平、如是畜生春心発動」
 第三章(だいさんしやう) 富山(とやま)の白桃(しらもゝ) 「慕大和尚、りん玉」〔八玉飛散〕
 第四章(だいししやう) 武蔵野(むさしの)の篠芒(しのすゝき) 「逢塚(あふつか)、信乃、濱路、好六(すきろく)、核篠(さねさゝ)、村雨丸」

 第五章 豊島(としま)の紫陽花(あぢさい) 「犯(とぼし)(さほ)二郎、子上(しがみ)宮六(きうろく)、濡手(ぬれて)与倍二(よばいじ)
 第六章 離別(わかれ)の釣〓(つりしのぶ) 「額蔵」 〔濱路クドキ〕
 第七章 磨羅塚(まらづか)の節瘤松(ふしこぶまつ) 「犬山道穴(とうけつ)」 〔円塚山〕
 第八章 乱(みだ)れ咲(ざき)の勺薬(しやくやく)
 第九章 交流閣(かうりうかく)の河原(かはら)撫子(なでしこ) 「成氏、横取(よことり)鴈村(かりむら)、犬飼現八が妹おのぶ」
 第十章 入江(いりえ)の角力取草(すもひとりぐさ) 「古那屋文五兵衛、小文吾、縫(ぬひ)、房八、妙開(めうかい)」 〔古那屋〕

 第十一章 新女山二本(もと)柳 「音根、曳手、一夜、荘助」 〔荒芽山〕
 第十一(ママ)章 猫塚の天蓼(またゝび) 「赤岩一角、犬村角太郎、雛衣(ひなきぬ)、舩虫」 〔庚申山〕
 第十三章 石濱(いしはま)の男郎花(をとこへし) 「馬加(まくはり)大記(だいき)常武(つねたけ)、開牛楼、情野(なさけの)、犬坂毛野」 〔対牛楼〕
 第十四章 滑川(なめりかは)の辻(つぢ)が花(はな) 〔舩虫最期〕
 第十五章 舘山(たてやま)の八千代(やちよ)椿(つばき) 「好田(すきだ)権頭(ごんのかみ)素藤(もとふじ)、妙ちん、里見好道(よしみち)
 第十六章 八開士(はつかいし)の閨(ねや)の花(はな)

また、八犬女についても全員の名前が挙げられており

犬江親兵衛仁  幾世姫(いくよひめ)    犬村大角禮度   壽喜姫(すきひめ)
犬川荘助義任  核姫(さねひめ)       犬坂毛野胤智   都美姫(つひひめ)
犬山道節忠知  玉門姫(たまのとひめ)   犬塚信乃戌孝   木遣姫(きやりひめ)
犬飼現八信道  代鴈姫(よがりひめ)    犬田小文吾悌順  小壺姫(こつぼひめ)


という具合に成っている。また、中編の巻末に興味深い記述が見られる。

妙開(めうかい)ハ、さしも貞女(ていぢよ)と名(な)をとりし賢造(かたそう)が、いかなる事(こと)にや、ふと小文吾(こぶんご)を心(こゝろ)に慕(した)ひ、寐(ね)ても覚(さめ)ても、面影(おもかけ)の目にさへぎりてわすられず、思(おも)ひ切(きつ)て云(いひ)よらんと思へど、さすがとしにはぢ、心(こゝろ)でこゝろに異見(いけん)すれど、煩悩(ぼんのう)の犬(いぬ)(さり)やらず、閨(ねや)の灯火(ともしび)かきたてゝ、貸本屋(かしぼんや)から内々(ない/\)で、借(かり)て置(おい)たる」29オ讃極誌(さんごくし)の淫書(わしるし)を、口(くち)のうちでよむうちに、例(れい)の慕々(ぼゝ)山人(さんじん)が筆(ふで)をふるひ、画工(ゑかき)が丹精(たんせい)(つく)したる圖(づ)どりに、おもはず心浮(こゝろうか)れ……二編29丁


この手の艶本が貸本屋の手を経て流通していたことは知られているが、自作の『讃極誌』の書名を挙げていることから、本作より『讃極誌』が先に出されていたものと推測出来る。

なお、近世以来、八犬伝を艶本化したテキストは多く見られ、現代になっても、鎌田敏夫『新・里見八犬伝』上下(角川文庫、一九八四年)などがある。この本は角川映画の原作とは別本であるので注意(?)が必要。

◆〈木曽(きそ)開道(かいだう)〉旅寐廼手枕(たびねのたまくら)(序題)

【画賛】

野狐菴賛
ねがはくは紅粉房(みじまひへや)\の明鏡(めいきやう)となつて\君(きみ)が嬌面(きやうめん)を\わかたん
ねがはくは釣衣桁(つりいかう)の\輕羅(けいら)となりて君(きみ)が\細腰(さいえう)につかん
うかれ雄(を)の心(こゝろ)\とられし魂(たま)よそも\させるかさしの\花(はな)に舞(まふ)てふ

【序】

〈木曽(きそ)開道(かいだう)〉旅寐廼手枕(たびねのたまくら)序 [珎宝子]
邯鄲(かんたん)旅亭(りよてい)の一睡(いつすい)に、五十年の淫樂(いんらく)を極(きは)めし、盧生(ろせい)が夢の妄(もう)(さう)は、枕頭(ちんとう)片時(へんし)のちよんの間にして、懇丹(こんたん)(つく)す一冊に、六十九次(つぎ)の度(ど)(かず)をとりしは則(すなは)ち作者が的書(あてがき)なり。そが道路(みち/\)の戯(たはむ)れたるや泊(とま)りとまりの旅舎(はたごや)に、假寐(かりね)の夢(ゆめ)のかけ流(なが)し、傀儡女(めしもりをんな)の箸(はし)を採(とつ)て餓(うえ)たる時(とき)の腹(はら)を肥(こや)し、おしくらの醜女(おたふく)も、ひもじい折(をり)にまづい物(もの)なし。あるは相宿(あいやど)の女連(をんなづれ)に、夜這(よばひ)の先陣駈(せんぢんかけ)をあらそひ、四(よ)ッ目(め)(くすり)の功能(こうのう)には、宇治川(うぢがは)の昔(むかし)をしのび、野(の)雪隱(せつちん)の立交(たちどり)に人目(ひとめ)の関(せき)に鎖(とざし)れて、武藏野(むさしの)の扉(とぼそ)をあけよ、あな臭(くさ)の、屎(こい)もこもれり、戀(こひ)もこもれり、とのへらず口(ぐち)(げ)にや浮世(うきよ)は色の旅(たび)、妹背(いもせ)へだつる山々には、艶書(つけぶみ)の橋(はし)をわたし、戀(こい)の重荷(おもに)に意馬(いば)を勞(くるし)め、そつと忍(しの)んであいの宿(しゆく)。更行(ふけゆく)(かね)にまつ並木(なみき)あれば、取持(とりもち)手引(てびき)の立場(たてば)あり君(きみ)をおもへば歩渡(かちわた)りの、淺(あさ)い川なら膝(ひざ)までまくり深(ふか)くなる程(ほど)(おび)を觧(とく)色慾國(しきよくこく)の二筋道(ふたすぢみち)木曽(きそ)の掛橋(かけはし)ならなくに、命(いのち)をからむ蔦(つた)かづらは、男女(なんによ)の痴情(ちじやう)をいひたるならん歟(か)。嗚呼(あゝ)
  によつさりと辰の夏六

妻戀淫士 慕々山人題◇

【口絵】

はづかしと\ありしをけして\我影に\わかれて\君にあふそ\うれしき\ 焉馬
○慕々(ぼゝ)山人(さんじん)腎水(じんすい)を減(へら)して枕草紙(まくらさうし)を綴(つゞ)る圖(づ)枕草紙(まくらざうし)の作(さく)はなか/\易(やす)くは出来(でき)ません。毎日(まいにち)(うなぎ)と玉子と猛(たけり)丸を用(もち)ひなければ顎(あご)で蠅(はい)だて。「先生(せんせい)チト仮宅(かりたく)へでもお出掛(でか)けなすつて一ト珍宝(ちんぼう)振出(ふりだ)してから書(か)かなけりやお体(からだ)が続(つゞ)きますめへ。
〔扁額〕「野〔慕〕庵」、〔本箱〕「枕文庫・淫本乱書・艶道通鑑・不器用又平畫帖」、〔掛軸〕「元祖不器用又平画」


※安政三年六月序。中本一冊草双紙体裁。板心「木曽」。山本本は八オ「熊谷」まで存。完本は未見。白倉敬彦『絵入春画艶本目録』に拠れば「一妙開芳人画」。各宿場毎に一場面を設けた艶本の一形式である道中物の木曽街道版。書誌事項未詳ながら翻刻本が存する(日文研)。また、福田和彦『枕旅木曽街道六十九次』(浮世絵グラフィク四・五、KKベストセラーズ、一九九一)に不完全ながら翻刻紹介がある。

◆仇戀(あだなこい)端唄(はうた)の忍音(しのびね)

端唄十二景叙(はうたじふにけいぢよ)
春雨(はるさめ)の爪弾(つめびき)、しつぽり濡(ぬる)る枝折(しをり)となり、我物(わがもの)の小聲(こごゑ)、置(おき)巨燵(ごたつ)の指人形(ゆびにんぎやう)を導(みちび)き雪(ゆき)(とも)の咽(のど)を聞(きか)せて、屏風(べうぶ)が戀(こひ)の仲立(なかだち)となり、玉川(たまがは)の節(ふし)をまはして水(みづ)にさらせし、雪(ゆき)の肌(はだ)を合(あは)すなんど、悉皆(しつかい)音曲(おんぎよく)の餘澤(よたく)にして、鼻(はな)を鳴(なら)す囲女(かこひもの)、泥水(どろみづ)に住(すむ)賣婦(くらうと)、いづれか端唄(はうた)を好(このま)ざらん。されば小唄(こうた)の徳(とく)には、たけき」侠婦(おてんば)の心(こゝろ)をあぢにし、鬼(おに)の女房(にようぼ)の鬼神(きじん)さへ、ちよつと浮(うか)るゝ水(みづ)調子(でうし)。彼(かの)二上(にあが)リの二丗(にせ)三丗(さんせ)と、本調子(ほんてうし)の本音(ほんね)を出(いだ)すも、所謂(いはゆる)(よみ)と歌澤(うたざは)なるべし
柳巷(りうかう)の裏(うら)河岸(がし)、情談泊(じやうだんぱく)に慕談(ぼだん)の間(いとま)、歌妓舎(げいしやや)の端唄(はうた)を、壁(かべ)(ご)しに聞(きゝ)ながら、塵紙(ちりがみ)に筆(ふんで)を染(そめ)て、當即(ぶつゝけ)に題個(しるすもの)
    筆頭幇間(ひつとうのはふかん)

當垣(あてがき)慕文(ぼぶん)記[慕々散人]

※中本一冊。當垣慕文作、婦多川情水画。摺付表紙、見返、序の背景、口絵は色摺。内題下「色念人娘壺述」、本文は中本型読本風で挿絵中にも本文が書き込まれている。
口絵第一図「淺草」、第二図「不忍(しのばず)」、第三図「向島(むかふじま)」、第四図「亀戸(かめいど)」、第五図「高輪(たかなは)」、第六図「日本橋(にほんばし)」、第七図「吉原」、第八図「芝居町」、第九図「愛宕(あたご)」とあり、それぞれに「かふもり」「しのぶこひぢ」「ひとよあくれば」「ひとこゑ」「ながきよ」「かつら川」「こひし/\」「いろがある」など相応しい端唄が附されている。
内題「仇戀端唄の忍音(あだなこいはうた しのびね)」の脇に「色中(しきちう)の深情(しんじやう)は別品(べつぴん)の風味(ふうみ)」とある。序文でも『古今集仮名序』を踏まえていたが、冒頭も「凡(およそ)(いき)としいけるものいづれか哥(うた)を好(この)まざらん當時(いま)哥沢(うたざは)の流(ながれ)(ひ)にひにはびこり再々(さい/\)の新撰(しん)文句(もんく)には鼻(はな)をならす囲女(かこゐめ)泥水(どろみづ)に住(すむ)賣婦(くろうと)(たち)の意(こゝろ)をとらかし鬼(おに)の女房(にやうぼ)の鬼神(きじん)をもつまみ喰(ぐひ)する好色者(こうしよくもの)その名(な)も女好(ぢよこう)とみづから号(よび)(おんな)と見(み)れば手當(てあた)り任(まか)せ誰(だれ)でも戀(こひ)の淫蕩(いんとう)放逸(ほういつ)(すき)こそ物(もの)の上手(しやうず)にて女(おんな)たらしの物好(ものずき)……」とある。趣向としては、端唄本を沢山出している魯文の自家薬籠中のものであった。

◆淫篇深閨梅(いんへんしんけいばい)前輯

深閨梅 自序
(いろ)づく梅(うめ)の未開紅(みかいこう)は、また手入(てい)らずの木娘(きむすめ)にや。擬(なぞら)ぶへく、氣(き)を遣(やり)(うめ)の枝(えだ)ぶりは、によつきりとした勢(いきほ)ひあり。されば梅(うめ)が香をさくらに移(うつし)、柳(やなき)の枝(えた)に咲(さか)せたらんは、吾妻(あづま)(ぢよ)(らう)に長嵜(ながさき)の、衣裳(いしやう)を着(き)せ、花路(みやこ)の揚屋(あげや)で遊(あそ)べるに競(くら)へん。その情欲(しやうよく)の栄花(えいくわ)の夢(ゆめ)に」肝膽(かんたん)くだく枕(まくら)双帋(さうし)は、花盗人(はなぬすびと)の西啓(さいけい)が、一斯(いちご)の觀樂(くわんらく)一世(いつせ)の荒淫(くわういん)、外(よそ)の色香(いろか)を折(おり)とりて、金(こかね)の瓶(かめ)に手活(ていけ)の仇花(あだばな)、そが行(おこな)ひもよしあしの、うめの難波(なには)の物語(ものがたり)を、鎌倉山(かまくらやま)の星月夜(ほしづきよ)に物うひ土筆(つくし)のふでの先(さき)。暗記(あんき)の儘(まゝ)なるあてがきにあつたら紙(かみ)を費(つひやす)こと笑画(はらひゑ)の美女(びぢよ)をながめて褌(ふんどし)を穢(けが)す類(たぐ)ひに等(ひと)し。しかはあれども此道(このみち)の淫乱(いんらん)なるをいかにせん 浴室(ゆや)を覗(のぞい)て流板(ながし)をうらやみ、玉門(ちやんこ)(なめ)たし詠(なが)めたし」と、痴情(ちしやう)を述(のぶ)る二本(にほん)(ほう)ならふ事なら夜(よ)の明(あけ)ぬ國(くに)に生(うま)れていつまでもと思(おも)ひを吐(はき)だすしつ深(ぶか)も、情態(しやうたい)(すべ)て相類(あひおな)じ 嗚呼(あゝ)男根(まら)かしやアがるとそゞろに微笑(びせう)

 春心(しゆんしん)發動(はつどう)/得手物(えてもの)が辰(たつ)のとし/によき/\如月(によつき)

小男鹿(たをしか)の/妻乞(つまごひ)の淫士(いんし)/ 慕(ぼ)々閑人(かんじん)漫記

◆淫篇深閨梅(いんへんしんけいばい)後輯

淫編深閨梅(いんへんしんけいばい)後輯序(かうしうのちよ)
梅花(はいくわ)(ひらい)て春心(しゆんしん)を発(はつ)し、黄鳥(くわうちやう)(ない)て艶情(ゑんじやう)(さかん)なり。されば年(とし)の内(うち)より春心(いろづき)て欺(だま)されて咲(さく)(むろ)の梅(うめ)、忍(しの)びて一夜(ひとよ)鴬宿梅(おふしゆくばい)、その香(か)に暗(やみ)を導(みちびき)て薫(かほ)りゆかしき閨(ねや)の梅(うめ)、新鉢(あらばち)(うゑ)をむざんにも手折(たおる)は戀(こひ)の花鋏(はなばさみ)莞尓(こつこり)(うめ)が笑画(わらひゑ)を柳(やなぎ)が招(まね)く好者(すきしや)の看官(けんぶつ)、去歳(こぞ)のつほみの封切(ふうきり)を今年(ことし)は開(ひら)く深閨梅(しんけいばい)、第二輯(だいにばん)(め)のむしかへし、諸冊(しよふみ)の春画(しゆんくわ)に魁(さきがけ)して求(もと)めたまへとねがふになん

 窓(まど)の梅(うめ)か香(か)を/硯(すゝり)の池(いけ)にうつしとめて 乱亭のあるじ/ 慕々山人戯述◇


※中本二冊。序文から前輯は安政三刊、後輯は四年刊。立命館ARC本二本(落丁や破損あり)も国文研本も一冊に合綴してあり、後輯の摺付表紙は未見。表紙と見返以外は墨摺で口絵を備える。本文は切附本風で挿絵中には仮名で書き入れがある。題名が『金瓶梅』をかすめているのは当然として、「淫編」が冠されていることから、馬琴の長編合巻『新編金瓶梅』(天保二〜弘化四)を典拠としていることは容易に推測できる。その内容は「西門屋啓十郎」と淫婦「阿蓮」に月下菴の尼「妙潮(めうちやう)」が配されて「武太郎」「妙汐(めうせき)」の殺害に及ぶ、さらに「阿蓮」は「秘事松」と通じて西門屋の財産を横領するが「武松(たけまつ)」に復讐されるという筋立てに適宜濡れ場が書き込まれたものである。啓十郎・阿蓮の淫蕩奸智に対して、武二郎・千早の正義貞節を対置するという勧善懲悪を踏まえた典拠を踏襲した構成になっている。また、「○浮吉(うはきち)が事此下(このしも)に物語(ものがたり)なし。そが行衛(ゆくへ)は本輯(ほんしう)にくわしく説(とけ)り」(後輯34ウ)などと読本めいた記述が見られるが、「本輯」が典拠である『新編金瓶梅』であることは書かれていない。つまり読者に典拠を秘匿する気は見られず、分かる人には分かるという書き方がされているのである。

◆〈於七吉三〉封文戀情紋(ふうじぶみこひのじやうもん) 初編

封文戀情紋(ふうじぶみこひじやうもん) 初編序詞
(ふるき)を以(もつ)て新(あたらしき)に擬(ぎ)すは、四十(しじう)嶋田(しまだ)の引眉毛(ひきまゆげ)。蛸(たこ)の生(いか)たる蚶(あわび)を、未(まだ)新開(ていらす)の蛤(はまぐり)と、一(いつ)ぱい喰(くわせ)る〓(たぐ)ひにして、年々(ねん/\)歳々(さい/\)春画帖(わしるし)の、著述(さく)相似(あいに)たる男女(なんによ)の交合(とりくみ)、再々(さい/\)念入(ねんいれ)れ工風(くふう)を凝(こら)せど、こいつは妙開(めうかい)あら鉢(ばち)だと、看官(おきやく)の喜悦(よがる)趣向(しゆかう)なければ、昔(むかし)の戀(こひ)の緋桜(ひさくら)の、紅(あか)い二布(ゆもじ)の朱(あけ)を奪(うば)ふて、今紫(いまむらさき)に潤色(いろあげ)し、野暮(やぼ)」な模様(もやう)の煩多(しげき)を刪(かり)、其(その)情紋(じやうもん)の簡要(かんよう)なる、肝(かん)(もん)のみを残(のこ)しとめ、彼(かの)古開(ふるばち)を種(たね)として、八百家(やをや)の娘(むすめ)の十六(ぢうろく)に角豆(さゝげ)、寺(てら)の胡椒(こせう)の生松茸(なままつだけ)を、喰(く)ふてはじけし蚕豆(そらまめ)の、新(あらた)に綴(つゞ)る戀情本(れんじやうぼん)は、孩長(さねなが)一家(いつか)の句調(くてう)を鴈(かり)の、玉章(たまづさ)と号(よぶ)(ふう)じ文(ぶみ)。切(せつ)なる戀(こひ)の情紋(じやうもん)と、おぼ束(つか)なくも呼子鳥(よぶこどり)。古今(こきん)傳授(でんじゆ)の艶道(えんだう)秘事(ひじ)、和歌(わか)の三鳥(さんちやう)(やわ)らぐ書(ふみ)の、縁因(ちなみ)も」あれば三帖(さんでう)で、全部(すつぱり)稿脱(きをやる)脚色(もくろく)にて、初編(しよへん)一冊(いちばん)翠簾(みす)(かみ)へ、筆(ふで)の胴中(どうなか)おし掴(にぎ)りて、ぐひ/\ぐひとかくのごとし
   外題(げだい)に由縁(ゆかり)の文月(ふみづき)初旬(はじめ)
   妻戀(つまごひ)の淫宅(いんたく)に昼犯(ひるどり)の間(いとま)

慕々山人戯誌◇

※中本一冊。「女好楼画」(外題)。表紙・見返・序文の背景、口絵と挿絵との全てに色摺を施す極めて美麗な本。口絵第一図を左右と上に広げると口絵第二図が現れる。本文は中本型読本風で挿絵の中にも本文が入り込んでいる。敵役として高利貸「釡屋武兵衛」「油屋太佐兵衛」が登場し、「色情院小姓吉三郎」「八百屋於七」「下女於好(おすき)」「鳶の者土佐エ門傳吉」などが出てくるが、口絵に見られる「戸倉十内」「稲垣平馬」「吉三郎言号(いゝなづけ)於雛(おひな)」は初編には出て来ない。二編以下は未見。冒頭で、水茶屋の「おさせ」が「先刻(さつき)貸本屋(かしほんや)さんが封切(ふうきり)だといつて持(もつ)て来(き)ました封文(ふうじぶみ)と題(いふ)中本(ちうぼん)を讀(よん)でいたのでありますョ」といっているのが興味深い。

◆鼠染(ねづみそめ)(はる)の色糸(いろいと) 初編

(いとぐち)
(それ)(いろ)に種々(さま%\)あり。就中(なかんづく)鼡色(ねづみいろ)は五色(ごしき)の外(ほか)の好(この)みにして、亦(また)天然(てんねん)の色(いろ)なれば、三枝(さんし)の礼(れい)ある鳩羽鼡(はとばねつみ)も、迷(まよ)へば風(かぜ)に靡(なび)くてふ、柳鼡(やなぎねづみ)の秋(あき)さりて、散(ち)るはうたてき薄鼡(うすねづみ)、はじめはついした轉(ころ)び寐(ね)に淺荵鼡(あさぎねづみ)と思(おも)ひしも、深(ふか)くなるほど濃鼡(こいねづみ)、人目(ひとめ)の関(せき)を憚(はゞか)りて、互(たがひ)にしのび藍鼡(あゐねづみ)、末(すへ)はどうせう高野鼡(かうやねづみ)と、はまり込(こん)だる溷鼡(とぶねづみ)、こゝらが色(いろ)の要(かなめ)にて、彼(かの)(まめ)盗児(どろぼう)が烏闇(くらやみ)に、無理(むり)往生(わうじやう)の鼡鳴(ねづみなき)は、賽鼡(まがひねづみ)の変色(かはりいろ)。是(これ)色本(いろほん)の外(ほか)なるべし。遮莫(さばれ)とろぼうの泥(どろ)に因(よる)田染(たぞめ)も、色は鼡(ねづみ)なれば、将(はた)天然(てんねん)の色(いろ)といはん歟(か)、噫(あゝ)   丁巳年初春(はつはる)こゞろ満々(まん/\)たる淫水(いんすい)を墨汁石(すゞり)に滴(たら)して 暮朴斎述

(句読点を補った)

※中本三巻〔三冊〕。安政四年刊。国文研本は合一冊、替表紙。立命館ARC本は上巻〜中巻四丁と中巻五丁〜下巻に二分割し、袋と思しき表紙に改装されている。原表紙未見。「暮朴斉著」(内題下)、「又平画」(袋外題)。序以下、口絵や挿絵は全て墨摺。切附本風の本文で挿絵中にも本文が入り込んでいる。口絵中に「暮朴斎自題」として魯文作と思われる「月(つき)の鼡(ねづみ)婿入(むこいり)するや斎蔦(よめがはぎ)」「三絃(さみせん)をまくらにはなの木影(こかげ)かな」「我(わが)ものに折(おる)はうたてし梅(うめ)の枝」の三句がある。本作が安政四年一月江戸市村座初演の黙阿弥作『鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)』と密接な関係を持っていることは明らかである。実録に基づいたと記してはいるが、或いは芝居と同時期の出板を意図したのかも知れない。鼠色尽くしの戯文となっている序文を一読しただけでも魯文の意気込の程が知れる。この初編の末尾に「扨鼡小僧は、最(いと)もきびしく獄中(ひとや)に繋(つな)き止(とめ)られて刑罸(けいばつ)せらるべきを、不測(ふしき)にのかれ命(いのち)(まつた)く、再ひ江湖(よの)(なか)に横行(わうぎよう)なし、松山(まつやま)と再會(さいくわい)に及び、面白(おもしろ)き実録(じつろく)の珎談(ちんだん)あり。且(かつ)、若(わか)草伊之助の事并に三浦(みうら)兵部助(ひやうふのすけ)婬虚(ゐんきやく)の物語(ものがたり)は、第(だい)二編(へん)に説分(ときわく)るを愛看(あいかん)あらせ玉ひねかし」とあるが、第二編は未見。

◆戀(こひ)の湊(みなと)(なさけ)の出島(でしま)

(こひ)のみなと\露(なさけ)の出(で)しま序
(おどり)に金(かね)を懸(かけ)たる拍子(へうし)(きゝ)の嬢(むすめ)を馭手(おて)の附(つく)べき時(とき)に逢(あ〔は〕)はねば却(かへつ)て親(おや)にてんてこ舞(まひ)をさせ大金(おほがね)を執(と)る妾(めかけ)といへども孕(はらみ)こぢれる其時(そのとき)は思(おも)はぬ所(ところ)へ縁(えん)につく斯(かゝ)れば生物(なまもの)に」かつえて張形(はりかた)に犯盛(とぼしざかり)を過(すご)しむだな〓(へのこ)に喰(く)ひ飽(あき)て腎虚(じんきよ)の先途(せんど)を見届(みとゞ)けぬも儘(まゝ)にならぬは浮世(うきよ)とはおまへと私(わたし)が身(み)の上(うへ)と鹿嶌(かしま)なるうらなき戀(こひ)も掌(てのひら)を握(にぎ)りて常陸帯(ひたちおび)も結(むす)ばず陸奥(みちのく)に錦木(にしきゞ)もすたりて吸付(すひつけ)煙草(たばこ)が媒(なかだち)すると聞(きく)(とき)は戀哥(こひか)一首(いつしゆ)をよむひまに尻(しり)を敲(たゝい)てすびきぬるこそ戀(こひ)すてふ身(み)の誉(ほまれ)ぞと又(また)も入(い)らざる御世話(おせわ)な事(こと)スウ/\フウ/\ハア/\と余慶(よけい)な汗(あせ)をかくこと爾(しか)
 とつて二度めのおつ立しまハ万作と\しるき\ ひつじの新板

當書山人[印]」

※中本一冊。當書山人作、安政六年刊。仏国立図書館本は洋装に改装され他二本と合綴されている。摺付表紙と序文の背景と口絵八図に色摺が施され、挿絵中には草双紙風の書き入れがある。第一図「しきしま(上田島)(〔書き入れ〕「穴のなかハうづきにけりないたづらに、たゞくじりてもながれでしかな」とは本当(ほんとう)の心意気(こゝろいき)を詠(よ)んだな。「よの中にたえてしぼゝのなかりせバ、人の心ハたのしからまじ」)、第二図「宝来島(やたらじま)(この図は左右に開く折り込みで通常の見開きの倍)、第三図「湯島(大名しま)」、第四図「向嶋(五本手しま)」、第五図「佃島(関東じま)」、第六図「柳島(よこじま)」、第七図「八丈島(あゐじま)」、第八図「三河嶌(立じま)」。口絵とは無関係に思われる本文は、中本型読本風で挿絵なし。内題脇に「名代(みやうだい)(むこ)は娘(むすめ)の為(ため)に是ぞ出島の砂糖(さとう)の甘(うま)み」とある。「深圖(ふかず)(なめる)」という醜男が、従弟の「出尾(だすを)九次郎」という美男を代理にして、道具屋「助兵衛(すけべゑ)」の仲人によって持参金付の嫁「させ子」を娶ることをめぐる話柄で、最後は夢落ちになっている。

◆春色港入婦寐(しゆんしよくみなとのいりふね)初編

春色(しゆんしよく)(みなと)の入婦寐(いりふね)序
(とう)くて近(ちか)きものおとこ 女(おみな)の道(みち)と。清少納言(せいせうなごん)が云(い)へ りし如(ごと)く。実(げに)恋々(れん/\)の情愛(じやうあい)は。 千里(ちさと)の海(うみ)を隔(へたつ)とも。赤縄(えにし) にひかるゝ碇綱(いかりづな)。恋(こひ)のみなとを 目釣(みあて)として。通(かよ)ひくる輪(わ)の 全盛(ぜんせい)を。一廣開(いつかうかい)飯盛(めしもり)が。杓子(しやくし)(ぜう)規な筆頭(さき)に。摸(うつ)しとりたる 写眞(しん)(きやう)。みな手にふれて港(みほ) ざきの世界(せかい)を縮(ちゞ)むる壺(こ)中の 天(てん)地。晦日の月の別(べつ)世界。 看官疾々(おはやう)封切(ふうきり)を。直々(ちき%\) 御覧(らん)あれかしと。一同(みな/\)よろしう 願(ねが)ふになん

阿奈垣のあるじ慕々山人記


※中本一冊(十五丁)。草双紙風摺付表紙、外題「〔春色港の入ふね〕」、大珎坊 阿奈垣主人戯編、慕々山人序、一廣開飯盛〔画〕(序文に拠る。口絵第四図中の衝立にも「飯盛」とある)、安政頃。ホノルル美術館蔵本は、表紙・序の背景・口絵に色摺を用い、本文と挿絵は墨一色。見返〜一オに序文(慕々山人)、口絵は五図(第一図、第二図「フランス」、第三図「ヲランダ」、第四図「〔ヱギ〕リス」、第五図「ナンキン」)、本文十丁(丁付ノド「いりふね一〜十」)。六図ある挿絵の周囲には本文(仮名漢字混じり)が入っている。本文の冒頭に「美代崎(みよざき)の歓喜樓(くわんきらう)に五ヶ國(こく)の大(おほ)一坐(ざ)」とあり、「女郎とネルトスル(西洋人)」、「女郎と南京の乱開好(らんかいこう)」の濡場を見た「昆崙坊(くろんぼう)」の「五人組」、異人の交合(とぼし)に刺戟されて「胡蝶(舞子)と千代元八代(やよ)大夫」や「ずる吉(歌妓(げいしや)と平助(若者)」等の濡場が描かれている。なお、初編以下は未見。


  四 結語

以上、不充分ながら魯文の艶本に関する基礎的な調査の報告を記してきた。しかし、未だに所在の知れない資料が存するし、古書目録で発見して注文したにもかかわらず入手出来なかった『春色優源氏』もある。そのような管見の範囲ではあるが、魯文の書いた艶本には明確な特徴が見られる。それは、何らかの有名なテキストを典拠として作り替えるという「抄録」という方法が用いられていることである。『南総里見八犬伝』『偐紫田舎源氏』『絵本通俗三国志』『新編金瓶梅』などという長編を抄録(ダイジエスト)するには才能が不可欠である。抄録家として自己規定してデビューした魯文にとって、艶本は才能を発揮できる絶好のジャンルだったといい得るだろう。ではあるが、艶本というジャンル故の陳腐化という課題もあったわけで、『鼠染春の色糸』初編中巻七ウに次のように書き付けている。

作者(さくしや)(いはく)、鼡小紋東君新形(ねづみこもんはるのしんかた)には、お高(たか)が置忘(おきわす)れし金包(かねつゝみ)を与之助(よのすけ)か拾(ひろ)ひとりて若菜屋(わかなや)へ届(とゞ)けしは、序幕(じよまく)に出(いで)て新助(しんすけ)が百両かたり奪(うばは)れしと同日(どうじつ)の事(こと)なれども、本編(ほんへん)には、新助がかたりにあひしより前(まへ)の談(だん)とす。そも/\狂言(けようげん)の筋(すじ)を假(かり)、人名(ひとな)を奪(うば)ふものから、趣向(しゆこう)は大同(だいどう)小異(せうゐ)あり。是(これ)、劇場(しばゐ)の脚色(しくみ)と冊子譚(さうしものがたり)とは、些(いさゝか)用捨(よふしや)あるのみならず、況(まい)てかゝる艶史(わじるし)なれば、筋違(すぢちがひ)、且(かつ)餘談(よだん)(おほ)し。假令(たとへ)ば、若菜屋(わかなや)に下女(けじよ)ひとりは大家(たいけ)に似合(にあは)ぬ無人(ぶにん)なり。是(これ)は、ほかにも婢(おんな)はあれども、無用(むよう)なれば出さぬも、舞臺(ぶたい)の上(うへ)でのみ見(み)せる雑劇(しばゐ)なれば事(こと)すめど、冊子(さうし)にかゝる手落(ておち)があらば、看官(みるひと)かならず打込(うちこ)んで作者(さくしや)が捧をくらふべし。ゆへに本編(ほんへん)には、若菜屋(わかなや)に婢女(げじよ)三人(さんにん)ありとして、殊(こと)にお半(はん)を出(いだ)ししは、漫(みだ)りに綴(つゞ)る蛇足(じやそく)にあらず。鼡(ねづみ)小僧(こぞう)生涯(せうがい)の実録(じつろく)に由(よ)らまく欲(ほり)す。啻(たゞ)(これ)二編(へん)の楔子(たねまき)のみ。

(句読点を補った)

魯文が「淫本(いんほん)」「艶史(わじるし)」や「戀情本(れんじやうぼん)」と表記する艶本(えほん)は、所謂消費される商品としての戯作に過ぎない。しかし、この所謂「実用書」にも格が存在した。半紙本の『假枕浮名仇波』は装丁も、使われている色板の枚数も格段で、当然値段も潤筆(稿料)も高かったであろう。中本でも『封文戀情紋』などは全図に色摺を施しており、これも立派なものである。本稿では「中本型読本風」とか「切附本風」と記述したが、これも本文の一丁あたりの行数や句読点の有無など、板面の格を表現したものである。精確な文字数を数えたわけではないが、途中に会話体を混えることが多い艶本の文体では、字数制限(丁数・冊数の制限)も抄録本として著述する上では大きな制約であったはずである。このような様々の板元からの要請に応じつつ、自らが書きたいように書くことは並大抵の仕事ではなかったと想像される。

ただし、誤解を恐れずにいえば、此処で艶本を書いていた魯文の〈文学性〉を問題にする必要などは決してないのである。十九世紀に於ける著述業の実態の解明にとって、魯文の仕事の調査は甚だ有用なデータを提供してくれるものと思われる。消費される〈文学〉の時代は、既に十九世紀に始まっていたのであるから、〈幕末開化期〉という呪縛から解放する有用で具体的な〈作家〉として、魯文は随一の存在なのである。

鈍亭時代の魯文が関わった艶本に関する基礎的な調査報告が可能になったのも、艶本が研究対象として正式に認知されつつある結果、国文研でも蒐集資料に加えられ、その所在情報が次第に明らかにされ始めたからである。日本における艶本研究は世界的に遅れをとってきたが、立命館大学アートリサーチセンターや日文研のウェッブサイトで艶本を含む資料の画像データが公開されており、また早稲田大学図書館からも近世文学の、国立国会図書館からは近代文学の原本画像データが大量に公開されつつある。その一方で、二〇〇七〜八年にフランス国立図書館が開催した「禁書展」の図録が日本の関税を通らなかった事件があった。研究の水準と税関とは没交渉のようであるが、インターネットは国境を越えてしまうわけで、一次資料の画像データ公開は歓迎すべきことである。ただ、この公開が原資料に直接アクセスする必要のある研究者を、現物から遠ざけることにならないことを祈りたい。


【追補】
未見であった魯文の艶本を羽田致格氏の御厚意によって借覧する機会を得たので、書誌事項等を追記しておく。

〔春色江戸名所〕
中本一冊、改装替無地表紙、本文裏打(「明治十三年七月廿二日出版版権届」の活版本)、 巻末に「東の初夢 上\東都 佐祢永淫生著編」(五丁)を合綴。 挿絵色摺、本文にも紅色と草色の模様を入れる。

外題「雪の朝」(後補書題簽)

春色江戸名所(しゆんしよくえどめいしよ)(ぢよ)
(よ)の中ハ三日見ぬ間(ま)に奥山の。千本(ちもと)の櫻(さくら)(さかり)を争(あらそ)ひ。 物いふ花の生(いき)人形ハ。麓(ふもと)の仮屋(かりや)に嬋娟(せんけん)を比競(たくら)ぶ。將(まさ)に春宵(しゆんしよう) 一刻(いつこく)の。價(あたひ)千金を投打(なげうつ)ハ。爰(こゝ)に有(あら)ずして何處(いづこ)ぞや。嗚呼(あゝ)張形(はりかた)の 吾嬬(あづま)(がた)戀の港(ちまた)の繁昌なる。床(とこ)の海に帆柱(ほばしら)をおつ立て舩(ふな)(ぞこ)(まくら)をきしらして幾夜寐覺(ねざめ)の樂(たのし)みは。実(げ)にも鳳凰(ほうわう) 靈臺(れいたい)の。目に觸(ふる)るもの一ッとして。名所ならずといふ物なし。 是ぞ所謂(いはゆる)日本中。一所に寄(よ)ることはざ(〔言事〕)ならめや

  安政四丁辰弥生のはじめつ方
妻戀の淫士         

慕々山人戯誌[乱亭]


板心「江戸名所 〔丁付〕
丁付「一・十八〜三十」
構成
(一オ)、口絵第一図(一ウ十八オ)、「不忍」(十八ウ十九オ)、「湯島」(十九ウ二十オ)、 「神田」(二十ウ廿一オ)、「御茶ノ水」(廿一ウ廿二オ)、「深川」(廿二ウ廿三オ)、 「愛宕山」(廿三ウ廿四オ)、「芝神明」(廿四ウ廿五オ)、「御殿山」(廿五ウ廿六オ)
本文 一丁十行程、漢字仮名混じり人情本風
小見出し「吉原(よしはら)の夜桜(よざくら)」「真乳(まつち)の隱家(かくれが)」「猿若(さるわか)の花櫓(はなやくら)(廿六ウ〜三十ウ)
内題「春色江戸名所(しゆんしよくえどめいしよ)前編(ぜんへん)\戀ヶ岡 慕々山人戯編」
尾題「春色江戸名所(しゆんしよくえどめいしよ) 終
刊記 なし
備考 廿四丁ウの腰屏風中に「一松齋」と在る


【付記】

本稿は国文学研究資料館で開催された「魯文プロジェクト」研究会での口頭発表に基づくものです。谷川恵一氏、青田寿美氏をはじめとして御示教賜った方々に感謝致します。また、御架蔵資料を快く提供して下さった山本和明氏、羽田致格氏、フランス国立図書館に資料の存することを御教示下さった佐藤悟氏、その閲覧に際してお世話になった小杉恵子氏、そして立命館大学アートリサーチセンターの赤間亮氏とホノルル美術館蔵リチャードレインコレクションについて御教示下さった石上阿希氏にも心より感謝致します。

なお、本稿には所在情報を含めて今後の補訂が不可欠なので、是非とも大方の御批正御教示をお願いしたい。




A Summary of "Robun's Erotic Hackworks"

With the exception of well-known texts such as "Aguranabe" 安愚楽鍋 (Sitting Cross-Legged at the Beef Pot) and "Seiyoudoutyuu; hizakurige" 西洋道中膝栗毛 (Shank's Mare to the West), studies of Kanagaki Robun's literary works are not yet advanced. Through the efforts over the last few years of the National Institute of Japanese Literature's Robun Research Group, the whole picture of Robun's literary work is only now coming to light. However, because of the lack of a proper index of archival possessions, a complete picture of Robun's many erotic hackworks from the early part of his career is not yet known. This article therefore aims to describe Kanagaki Robun's erotic hack writing as one part of his overall literary output, particularly from the years when he emerged as an author using the pen name "Dontei", based on materials I have recently discovered.

Translated by Ms.Orna Shaughnessy. I can never thank you enough.



# 「魯文の艶本」
# 「国文学研究資料館紀要 文学研究篇」第35号(2009年2月)所収
# Web版では字体やレイアウト等を変更してあります。
# 2009-06-19 補訂
# 2010-04-28 追補(〔春色江戸名所〕の追加と架蔵本画像(立命館ARC)へのリンクを貼った)
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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