中沢道二 なかざわどうに 一七二五〜一八〇三
江戸後期の心学者。名は義道。通称は亀屋久兵衛、のちに道二。享保十年、京都生れ。
家業を継いで機織りを営むが、四十半ばに手島堵庵(とあん)の弟子となり石門心学の修業に励む。
堵庵の命で関東に下り精力的に教化活動を繰り広げ、日本橋に開いた心学講舎参前合を拠点に広範囲にわたる布教活動に専心した。
心学を道話様式で説く生活学的なものに改め、その全盛期を築いた。享和三年没。聞書きとして『道二翁追詰』がある。
◇当時都下に聞えた中沢道二は権門勢家も多く延致していた。世人は彼の道歌「堪忍がなる堪忍が堪忍か、
ならぬ堪忍するが堪忍」を賞賛していたが、松平一心斎には面白くない。ある日一計を案じて道二を邸に招いた。
約束の午前十時にやって来た道二が案内を乞うが、取次ぎの者はなかなか姿を現わさない。
やっと出てきた者に来意を告げると、引っ込んだきり一向に出てくる気配がない。
正午を過ぎて空腹を覚えた道二が人を呼ぶが、やはり誰も出てこない。
そうこうしているうちに、奥から午後四時を告げる時計の音が聞えた。
道二が大声で人を呼ぶと、やっと用人が出てきて奥へ案内をする。
通されたのは意外にも酒宴の席で、すでに座も乱れている。
座客の一人が「一盃を献ぜん」といって、数合も入る大盃に満酌をし、無理強いする。
道二が下戸だからと辞すると「人のさした盃を飲まないのは不敬だ」といって、
頭から酒を浴びせる。大いに怒りを発した道二が座を退こうとすると、
座中の人々が一斉に「ならぬ堪忍するが堪忍」と高らかに唱え、
「足下の心学は未熟だ」と笑いものにした。
道二は大いに恥じて逃げ帰ったという。
(松浦静山『甲子夜話』巻九)
◇道二が摂州の池田某家に講説に出掛けた時、そこの主人は心を尽くして歓待し、
十代半ばの美しく上品な娘に茶を点てさせたり琴を弾かせたりして接待した。
道二が「教養は本当に素晴らしいものだ」と褒めると、主人は得意になって
「書画をも学ばせています」と話した。これを聞いた道二は
「それならば按摩術も学ばせているか」と尋ねる。主人は憮然として
「資産のある家の娘が、何故そんな技術を身に付ける必要がありましょうか」
というと、道二は従容として
「その考えは誤っている。女は嫁いだら舅や姑に仕えなくてはならない。
だから按摩の技もまた茶花琴にも劣らず大切なのだ。当人は良く分かっていない。
いたずらに高尚な芸術を誇って、孝養の道を欠くようなことがあってはならない」
と語った。主人はこの言葉を聞いて大いに恥じたという。
(柴田嶋翁「鳩翁道話」壱之上、石崎墓園「暁牌漫筆」
『昭和詩文』第二十二峡第七集掲載)
〔高木 元〕
# 『世界人物逸話大事典』(角川書店、1996年2月23日)所収
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